令和8年2月10日 今日も平凡な一日にありがとう!

 

磨き上げた鏡の向こうに ―― 2026年2月10日の黙示録 ――(架空のショートストーリー)


第一章:塩素の香りと、消えたプライド

午前6時15分。地下鉄大手町駅の通路は、まだ深夜の冷気が居座っている。 shimoは、以前ならこの時間にタクシーで朝帰りをしていたか、あるいは重い足取りで出社していた。しかし今の彼は、青い作業着に身を包み、腰にスプレーボトルをぶら下げている。

「……よし」

独り言は、マスクの中で湿って消えた。 彼が手にしているのは、最新式の除菌モップではない。あえて使い古された、手に馴染むブラシだ。駅のトイレ掃除。それが、かつて年収1200万円を稼ぎ出し、戦略的思考を武器にしていたshimoの「現在地」だった。

1年前、彼は自信満々に会社を辞めた。さらなる高み、外資系コンサルへの転職を狙って。しかし、待っていたのは「市場価値の暴落」という現実だった。2025年後半から加速したAIによるホワイトカラー業務の代替は、彼のような「調整役」の中高年を真っ先に飲み込んだ。 「君のスキルは、もうアルゴリズムが1秒で片付けるんだよ」 最後に受けた面接官の言葉が、今も耳の奥で耳鳴りのように響いている。

結局、路頭に迷いかけた彼を拾ったのは、誰もが見向きもしない「現場」の仕事だった。


第二章:令和8年2月10日、世界が変わった

その衝撃は、休憩室の古いテレビから流れてきた。 2026年2月10日。 この日は後に、経済史において「聖域の崩壊日」と呼ばれることになる。

『国内最大手・NIPPONホールディングス、管理職8割の削減とAI完全移行を発表』

ニュースキャスターの声が震えていた。日本を代表する巨大企業が、ついに「人間によるマネジメント」を放棄したのだ。それだけではない。同日、政府は「デジタル労働基本法」の改正を閣議決定し、事務職の最低賃金の大幅な見直しを事実上容認した。

「嘘だろ……」

shimoは、手に持っていた紙コップのコーヒーを落としそうになった。 かつて彼が必死にしがみつこうとした「椅子」が、音を立てて崩れていく。画面の中では、昨日までエリートと呼ばれていた人々が、自身のIDカードが使えなくなったオフィスの前で呆然と立ち尽くしている。

かつての同僚たちの顔が浮かぶ。彼らが誇っていた戦略も、人脈も、洗練されたプレゼン資料も、2月10日の冷徹なシステム更新によって「不要なデータ」としてゴミ箱に捨てられたのだ。

「俺が負けたのは、あそこにいられなくなったことじゃなかったのか」

強烈な衝撃がshimoを襲った。もし1年前、転職に成功していたら。今頃、自分もあのオフィスの前で、行き場を失い、真っ白な顔をして立っていたはずだ。


第三章:鏡の中に映る「価値」

午後のシフト。shimoは、いつも以上に丁寧に洗面台の鏡を磨いていた。 ニュースの衝撃は冷めない。駅を利用するビジネスマンたちの顔も、どこか引きつっている。スマホの画面を凝視し、自分の雇用が明日もあるのかを確認するかのように、足早に通り過ぎていく。

その時だった。

「……綺麗だな」

背後で声がした。振り返ると、一人の老紳士が洗面台の前に立っていた。 仕立ての良いスーツを着ているが、その表情には疲れが滲んでいる。老紳士は、shimoが磨き上げた鏡に映る自分の顔をじっと見つめ、それからshimoに視線を向けた。

「最近、どこに行っても『機械の目』ばかりでね。でも、この鏡の輝きは違う。隅の方まで、誰かの意志が宿っているような気がするんだ」

shimoは言葉に詰まった。 「……ただの、掃除ですから」

「いや、違うよ。私はね、今日、長年勤めた会社を辞めてきた。世界は効率化の化け物に飲み込まれようとしている。だがね、君が今ここでやったことは、アルゴリズムには計算できない『祈り』のようなものだ。人が使う場所を、人が心地よく整える。それは、どれだけ時代が変わっても消えない、本当の仕事だ」

老紳士は、小さく会釈をして去っていった。

shimoは、自分が磨いた鏡を見た。 そこには、かつての傲慢なエリートの影はなかった。あるのは、手にマメを作り、塩素の匂いを纏いながらも、真っ直ぐに自分を見つめる一人の男の顔だった。


第四章:日々の教訓 ―― 2月11日への希望

休憩時間が終わり、shimoは再びブラシを取った。 2026年2月10日。この日、世界は「人間の管理」を捨てたかもしれない。しかし、shimoは学んだ。

「奪われない仕事」とは、立場や役職のことではない。 目の前の現実を、どれだけ自分の手で「手触りのあるもの」に変えられるか。その誠実さのことだ。

落胆は、希望の裏返しだった。 かつての彼は、数字という虚像を磨いていた。しかし今は、誰かが使う便器を、誰かが顔を映す鏡を、本気で磨いている。その手応えだけは、どんな高度なAIも、どんな大企業のリストラも奪うことはできない。

駅の喧騒が、どこか心地よいリズムに聞こえ始める。 「お疲れ様です」 通りがかりの若い学生が、ふと声をかけてくれた。 「ありがとうございます」 shimoは、心の底から自然に笑って答えた。

明日も、世界は変わり続けるだろう。 ニュースはさらに残酷な現実を告げるかもしれない。 けれど、shimoの朝は早い。彼は知っている。自分が鏡を磨くたび、この駅を利用する誰かの心が、ほんの少しだけ明るくなることを。そしてその光が、巡り巡って自分自身の人生を照らし出すことを。

35歳の時、彼は「何者か」になろうとして焦っていた。 45歳の今、彼は「自分」であることを受け入れ、誇りを持っている。

令和8年2月10日。 それはshimoにとって、敗北の記録ではなく、真の意味で「働くことの尊厳」に出会った、再生の記念日となった。

令和8年2月8日 今日も平凡な一日にありがとう!

 

永田町の「長い一日」―令和8年2月8日、その深層(架空のショートストーリー)

プロローグ:深夜の赤坂、赤く染まる地図

令和8年2月8日、深夜。赤坂の雑居ビルにある馴染みのバーで、私はぬるくなった水割りを回していた。テレビの画面には、日本列島が自民党のイメージカラーである「赤」で塗りつぶされていく様子が映し出されている。

「また、景色が変わっちまったな……」

独り言が漏れた。私の名前はshimo。新聞記者として、歴代総理大臣の番記者を三十年以上務めてきた。権力の絶頂と、奈落の底。その両方を見てきた私にとって、この「歴史的大勝」という言葉は、単なる数字以上の重みを持って迫ってくる。

この日は、単に一政党が勝った日ではない。日本の政治という巨大な振り子が、かつてない振幅を経て、一つの極に固定された「構造転換の日」として記憶されることになるだろう。


第一章:二度の下野と、劇薬という名の「郵政解散」

私が駆け出しだった1993年(平成5年)、自民党は最初の「下野」を経験した。細川護熙という貴公子を担いだ連立政権の誕生だ。あの時の永田町の狼狽ぶりは今も鮮明に覚えている。党本部の廊下に積み上げられた段ボール箱と、行き場を失った重鎮たちの背中。自民党という絶対神話が崩れた瞬間だった。

しかし、その後の紆余曲折を経て、自民党は「政治のプロ」としての凄みを見せつける。その頂点が、21年前の同じ日、8月8日に解散が宣言された2005年の「郵政解散」だ。

小泉純一郎。あの男は「自民党をぶっ壊す」と言いながら、実は自民党を「最強のポピュリズム集団」へと作り替えた。あの時の選挙は、もはや政策論争ではなかった。一種の劇場型の狂騒曲だ。私はあの熱狂を追いかけながら、政治が「論理」から「情熱」へと変質していくのを肌で感じていた。


第二章:悪夢と奪還、そして石破という「冬の時代」

だが、栄華は長くは続かない。2009年、二度目の下野。民主党への政権交代だ。この時の自民党は、かつての凄みさえ失い、ただただ老いさらばえた巨象のように見えた。

それを救い出したのが、安倍晋三だった。2012年の政権奪還。彼は「日本を取り戻す」という旗印の下、政治に「安定」という名の盤石な基盤を築いた。だが、長期政権の弊害は澱(おり)のように溜まり、後の石破茂政権において、ついにその限界が露呈する。

思い出されるのは、つい数年前の令和の「石破解散」での大敗だ。 「納得と共感」を掲げたはずの石破氏だったが、党内の不協和音と国民の冷ややかな視線の板挟みになり、自民党は過半数割れという屈辱を味わった。維新の台頭、公明との軋轢。あの時、誰もが「自民党一強の終焉」を確信したはずだった。


第三章:令和8年2月8日、何が起きたのか

では、なぜ今夜、再び日本列島は赤く染まったのか。

令和8年2月8日。この日の勝因は、皮肉にも「石破時代の大敗」という浄化作用にあったと私は見ている。大敗を経て、自民党は長年抱えていた古い膿を、痛みと共に削ぎ落とさざるを得なかった。代わって台頭したのは、イデオロギーに固執しない実務的な保守層と、SNSを完全に掌握した次世代の政治家たちだ。

今回の選挙で、自民党は「保守」という言葉の再定義を行った。それは伝統を守ることではなく、「変化を管理する能力」としての保守だ。物価高、エネルギー危機、不安定な東アジア情勢。不安に震える国民は、夢を語る野党ではなく、消去法的に「管理能力」を選んだ。

石破氏が失敗した「理想主義的な改革」ではなく、もっと即物的な、生活に根ざした「生存戦略」としての政治。それが今回の、歴史的な議席数に結びついたのだ。


第四章:これからの勢力図、消える「左右」の境界線

今夜の勝利を受けて、日本の政治勢力図は劇的に変わるだろう。

  • 保守派の変質: 従来の「愛国」を叫ぶだけの保守はもはや主流ではない。DX(デジタル・トランスフォーメーション)や経済安全保障を冷徹に推進する「テクノ・コンサバティブ(技術保守)」が権力の中枢を占める。

  • 中道派の霧散: かつて「中道」と呼ばれた有権者は、自民党の現実路線に飲み込まれた。結果として、かつての第3極は自民党の補完勢力か、あるいは消滅の危機に瀕するだろう。

  • 左派の役割: これまでのような「批判のための批判」は、もはや国民のエンターテインメントにすらならない。今後、左派が生き残る道は、北欧のような「超具体的・超局所的」な福祉モデルを提示する、特化した専門家集団へと移行せざるを得ないだろう。


エピローグ:ペンの重み

グラスが空になった。テレビでは、当確マークが並ぶ中で、万歳三唱をする当選者たちの顔が映っている。

「shimoさん、次の締め切り、いけますか?」 後輩記者からのLINEが震える。私は立ち上がり、コートを羽織った。

令和8年2月8日。この日は、自民党が勝利した日としてだけではなく、日本人が「夢」よりも「持続可能性」という名の安定を、明確な意志として選択した日として、教科書に載るだろう。

だが、記者の仕事はここからだ。強すぎる権力は、必ず腐敗する。それは私がこの三十年で嫌というほど見てきた真理だ。日本中がこの勝利に酔いしれている今こそ、私はその「赤」の中に潜む、小さな黒いシミを見つけ出さなければならない。

永田町の夜は、まだ明けない。

令和8年2月7日 今日も平凡な一日にありがとう!

 

ミラノ・コルティナ冬季オリンピックが華やかに幕を開けた、2026年2月。 窓の外にはまだ寒さが残るものの、教室の中はどこかそわそわとした熱気に包まれていました。

教壇に立つのは、少しお調子者だけど生徒想いの「shimo(シモ)」先生。 今日は算数の授業の予定でしたが、黒板に大きく書かれたのは**「銀盤の歴史を繋ぐもの」**という文字。

「よし、みんな!今日は計算ドリルをいったん閉じて、今イタリアで始まったばかりの熱い戦いの話をしようじゃないか」

shimo先生がタブレットを操作すると、電子黒板にミラノの美しい街並みと、華麗に氷上を舞うスケーターの姿が映し出されました。


❄️ 第1章:道を切り拓いた先駆者たち

「先生、ミラノのオリンピック、昨日テレビで観たよ!鍵山選手や坂本選手がすごかった!」 元気なソータが手を挙げます。

「その通り!でもね、今の日本のフィギュアスケートがこれほど強いのは、かつて氷の上に『道』を切り拓いた先覚者たちがいたからなんだ。まずは、伝説の始まりから見ていこう」

shimo先生は、少しセピア色の映像を流しました。

  • 伊藤みどりさん(1992年 アルベールビル) 「彼女は、女子で世界で初めてトリプルアクセルを成功させたんだ。あの高さ、あの迫力。当時、世界中は驚愕した。彼女が獲った銀メダルが、日本フィギュア界のオリンピック初メダルだったんだよ」

  • 荒川静香さん(2006年 トリノ) 「そして、イタリアといえばこの人を忘れてはいけない。トリノ大会での金メダル。あの『イナバウアー』の美しさは、今でも語り草だ。日本中にフィギュアブームを巻き起こした、まさに女神のような存在だったね」

「へぇー、昔から日本は強かったんだね」と、クラスの女子アスリート、アカリが身を乗り出します。


⛸️ 第2章:氷上のライバルと「絶対王者」の降臨

「ここからが、みんなのパパやママも夢中になった時代だよ」と、shimo先生はいたずらっぽく笑います。

  • 浅田真央さんと高橋大輔さん(2010年 バンクーバー) 「バンクーバー大会。真央ちゃんのトリプルアクセル3回成功は、歴史に残る快挙だった。結果は銀メダルで本人は悔し涙を流したけれど、あの真っ直ぐな努力に日本中が涙したんだ。そして高橋選手は、男子で日本初のメダル(銅)を獲った。彼がいなければ、今の男子の層の厚さはなかったかもしれない」

そして、shimo先生の声に力がこもります。

  • 羽生結弦さん(2014年 ソチ、2018年 平昌) 「そして、この名前を知らない人はいないだろう。羽生結弦。オリンピック2連覇という、66年ぶりの偉業を成し遂げた。彼は単に勝つだけじゃなく、東日本大震災を乗り越え、絶え間ない怪我と戦いながら滑り続けた。彼のスケートは、もはやスポーツを超えたアート(芸術)だったんだ」

電子黒板には、平昌のリンクに降り注ぐ「プーさん」の雨と、氷に感謝する羽生選手の姿が映し出されました。教室は一瞬、静まり返ります。


🇮🇹 第3章:北京、そしてミラノ・コルティナへ

「そして前回の北京大会、そして今、目の前で開催されているミラノ・コルティナへとバトンは渡されたんだ」

  • 宇野昌磨さん(2018年 平昌、2022年 北京) 「独自の表現力と圧倒的なジャンプで、2大会連続のメダル。彼は『自分らしくあること』の大切さを教えてくれた」

  • 鍵山優真さんと坂本花織さん 「北京で銀メダルを獲った鍵山選手は、今や世界を牽引するエース。そして坂本選手。彼女の爆発的なスピードとダイナミックなジャンプは、今この瞬間もミラノの氷を震わせている。さらに『りくりゅう』ペア(三浦璃来・木原龍一組)のようなペア競技でも、日本は世界トップクラスなんだよ」

shimo先生は、タブレットを置いて生徒たちの目を見つめました。


✨ 終章:君たちの「オリンピック」はどこにある?

「みんな。今日紹介した選手たちに共通しているのは何だと思う?」

「……才能?」とソータが答えます。 「もちろんそれもある。でもね、一番は**『転んでも、必ず立ち上がること』**なんだ。フィギュアスケートは、何度も何度も氷に叩きつけられるスポーツだ。でも彼らは、痛みを堪えて笑顔で滑り切る。その強さが、僕たちの心を打つんだ」

shimo先生は黒板の隅に、小さな星のマークを描きました。

「オリンピックは、選ばれた人だけの場所じゃない。テストで満点を取ること、苦手な跳び箱ができるようになること、友達に優しくすること。君たちが毎日頑張っているその一歩一歩が、実は自分だけの『金メダル』へと繋がっているんだよ」

チャイムが鳴り響きます。 「さて、算数の時間は終わっちゃったけど(笑)、今日の宿題はこれだ。『今の自分にできる、最高の一歩を考えてくること』。ミラノで戦う選手たちに負けないくらい、熱い一日にしようじゃないか!」

「はい!」

教室には、今までで一番大きな声が響きました。 アカリはノートの隅にスケート靴の絵を描き、ソータは次の休み時間にサッカーボールを持って駆け出していきました。

shimo先生は、窓から見える冬の青空を眺めながら、自分も何か新しいことに挑戦してみようかな、なんて、少しだけ背筋を伸ばすのでした。

令和8年2月6日 今日も平凡な一日にありがとう!

2月6日。暦の上では春が始まったばかりだというのに、東京の隅っこにある「九十九時計店」の入り口から入り込む風は、まだ突き刺さるように冷たかった。

店主の源さんは、分厚いレンズの眼鏡を鼻先にずらし、ピンセットで古びたゼンマイ時計の心臓部をいじっていた。そこへ、近所のデザイン会社に勤める常連の若者、ハルくんが飛び込んできた。

「源さん、知ってます?今日は『ブログの日』なんですよ。サイバーエージェントって会社が定めた、2(ブ)6(ログ)の語呂合わせで」

源さんは顔を上げず、鼻を鳴らした。 「サイバーなんだかエージェントなんだか知らねえが、横文字は腹に溜まらねえ。ブログだぁ?日記なら帳面に書けば十分だろ」

ハルくんは苦笑いしながら、スマホの画面を源さんに見せた。 「そう言わずに。言葉ってのは、紙に書こうが画面に打ち込もうが、『言葉は心の使い』って言うじゃないですか。心の中にある思いを、代わりに届けてくれる使い魔みたいなもんですよ」

「心の使い、ねぇ……」 源さんの手が止まった。その言葉には聞き覚えがあった。亡き妻の静子が、手紙を書くたびに口にしていた言葉だったからだ。

「……ハル。その『ぶろぐ』ってのは、誰でも見られるのか?」 「ええ。世界中の誰にでも。でも、たった一人に届けるために書いてる人もたくさんいますよ」

源さんは、作業台の隅に置かれた、もう動くことのない小さな銀色の懐中時計を見つめた。それは静子が大切にしていたものだが、どの時計屋に持って行っても「部品がない」と断られ、源さん自身も直せずにいたものだった。

その日の夜。源さんはハルくんに教わった通り、不慣れな手つきでスマホと格闘した。サイバーエージェントが運営する「Amebaブログ」の開設画面。「タイトル」の欄に、彼は少し迷ってからこう打ち込んだ。

『九十九時計店、本日も時を刻めず』

最初の投稿は、短かった。

「今日はブログの日だそうだ。 亡くなったカミさんの懐中時計が、もう十年も止まったままだ。 腕のいい職人だなんて威張ってみても、一番直したい時計一つ直せやしない。 言葉は心の使いと言うらしいが、俺のこの情けない心は、どこへ届くんだろうな」

打ち込むだけで一時間かかった。指先が震えた。「公開」のボタンを押すときは、まるで爆弾のスイッチを押すような心持ちだった。

翌朝、店を開けると、ハルくんが息を切らしてやってきた。 「源さん!ブログ、すごい反響ですよ!」

源さんが恐る恐るスマホを覗くと、そこには数件の「コメント」が届いていた。

『私の父も時計職人でした。直せない時計がある悔しさ、父もよく酒を飲みながら話していました』 『止まった時計も、思い出まで止まったわけじゃないですよ』

そして、最後の一つに源さんの目は釘付けになった。

『その時計、もしかして1950年代の〇〇製じゃないですか?私はそのメーカーの元技師です。倉庫に古い部品が残っているかもしれません。もしよろしければ、力にならせてください』

源さんは、店のカウンターに突っ伏した。 眼鏡の奥から溢れたものが、古びた作業台に染みを作っていく。

何年も一人で抱えてきた後悔。職人としての矜持と、それを果たせない無力さ。そんな泥臭くて格好悪い「心」を、たどたどしい「言葉」という使いに出しただけで、見ず知らずの誰かが手を差し伸べてくれた。

数週間後。 九十九時計店のカウンターには、カチ、カチ、と規則正しい音を立てる銀色の懐中時計があった。 源さんは、再びスマホに向かっていた。今度は少しだけ、入力の速度が上がっている。

『言葉は心の使い、二度目の春』

「カミさんの時計が、今日、再び時を刻み始めました。 助けてくれたのは、海の向こうに住む、顔も知らない元技師さんです。 ブログなんて若者の遊びだと思っていましたが、案外、捨てたもんじゃありません。 止まっていたのは時計じゃなく、俺の心の方だったようです」

書き終えた源さんは、ふと窓の外を見た。 商店街を歩く人々、空に流れる雲。そのすべてが、これまでより少しだけ鮮やかに見えた。

「おい、ハル。サイバーなんちゃらによろしく言っといてくれ」 店を訪れたハルくんに、源さんは照れ隠しのぶっきらぼうな声で言った。 「今日という日は、案外いい日だったってな」

2月6日。ブログの日。 それは、閉じ込めていた心が、言葉という翼を得て、誰かの元へと旅立つ記念日。 東京の片隅にある小さな時計店で、また一つ、新しい物語が時を刻み始めていた。

令和8年2月5日 今日も平凡な一日にありがとう!

深夜のテレビ局、第4会議室。 窓の外には、眠らない街・東京の灯りが滲んでいる。

机の上に散らばっているのは、数えきれないほどの付箋が貼られた脚本の決定稿と、冷めきったコーヒーカップ。そして、数枚のスポーツ新聞だ。

「……ねえ、shimoさん。このシーンの台詞、もう少しだけ『熱』を足せませんか」

若手プロデューサーのsenaが、疲れ目で充血した瞳を脚本家に向けた。 shimoは、愛用の万年筆を指先で回しながら、壁のカレンダーに目をやった。

「senaちゃん、今日が何の日か知ってるかい?」 「2月5日……締め切りの3日前ですよ」 「はは、それも正解だ。でもね、今日は『プロ野球の日』なんだよ。1936年の今日、日本にプロ野球が誕生した。今の僕らが当たり前に熱狂しているエンターテインメントの、すべてが始まった日だ」

shimoは椅子を深くリクライニングさせ、天井を見上げた。

「当時、プロで野球を食いぶちにするなんて、誰も信じていなかった。批判も多かっただろう。それでも、彼らはグラウンドに立った。それから90年近い月日が流れて、今やWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が間もなく開催されようとしている。日本中が、いや世界中が侍たちの背中を追いかける時代だ」

senaは手元のスポーツ新聞に目を落とした。そこには、合宿で泥だらけになって白球を追う代表選手たちの写真が大きく躍っている。

「WBC……楽しみですよね。でも、プレッシャーも凄そうです」

「ああ、彼らが背負っているのは期待だけじゃない。これまでの歴史そのものだ。senaちゃん、僕の好きな言葉に**『百錬剛(ひゃくれんごう)』**というのがある」

shimoは手元のメモ帳に、力強い筆致でその三文字を書いた。

「百度鍛え直して、ようやく本物の強い鋼になる。プロ野球の世界そのものだと思わないかい? たった一打席、コンマ数秒の勝負のために、彼らは何万回、何十万回とバットを振る。手のひらがマメで潰れ、血が滲んでも、また握り直す。そのストイックな積み重ねが、折れない鋼のような精神を作り上げるんだ」

shimoは万年筆を置き、senaを真っ直ぐに見つめた。

「僕らの仕事も、これと同じじゃないかな」

senaはハッとしたように顔を上げた。

「この脚本、君はもう何十回と書き直しを求めてきた。僕もそのたびに、自分の言葉を叩き直してきた。時には自分の才能のなさに絶望して、筆を折りたくなる夜もあったよ。でもね、そうやって何度も熱を入れ、叩き、冷やし、また叩く。そのプロセスこそが『百錬剛』なんだ。何度も直したからこそ、この物語は、誰かの心を震わせる『鋼』の強さを持てるようになる」

「shimoさん……」

「WBCでマウンドに立つ投手も、バッターボックスに入る強打者も、みんな孤独だ。でも、その孤独を支えているのは、これまでの練習の日々という裏付けなんだよ。僕らも同じだ。この深夜の会議室で、ああでもないこうでもないと絞り出した言葉たちが、放送当日に視聴者の心に届く一球になる」

senaは、少しだけ震える手で脚本の束を抱きしめた。 窓の外では、夜明け前の空が少しずつ白み始めている。

「プロ野球の日……始まりの日ですね。私たちも、ここから新しい伝説を始めるつもりで、もう一度このシーンを練り直しましょう」

senaの言葉に、shimoはいたずらっぽく笑った。

「よし、乗った。じゃあ、今の台詞を全部ボツにして、もっと泥臭い、人間味の溢れる言葉に変えよう。WBCの決勝で、逆転ホームランを打つ瞬間のような、痺れるやつにね」

二人は再び机に向かった。 ペンが紙を走る音だけが、静かな会議室に響く。

それは、1936年に初めてプロの試合が行われたグラウンドの静寂と、どこか似ていた。 誰も見ていないところで繰り返される、地道な、けれど崇高な積み重ね。 「百錬剛」の教えを胸に、彼らは言葉という名の白球を、まだ見ぬ観客の心へと投げ込み続ける。

数時間後。 完成した新しいページを読み終えたsenaの目には、涙が浮かんでいた。

「これです。この言葉、きっと届きます」

「ああ、いい球を投げられた気がするよ」

shimoは窓を開けた。冷たい朝の空気が、熱を帯びた室内に入り込む。 2月5日。プロ野球の日。 歴史を作ってきた先人たちに敬意を表しながら、新しい時代の物語が、今まさに産声を上げた。

「さあ、senaちゃん。朝飯でも食べに行こうか。WBCが開幕する頃には、このドラマも日本中の話題になってるはずだよ」

「はい! 負けていられませんね」

二人は笑顔で会議室を後にした。 その足取りは、春のキャンプインを迎える選手たちのように、希望に満ちて軽やかだった。