モータウン伝説の「夜明け前」を駆けた Lamont Dozier

Dearest One / Lamont Dozier

ラモン・ドジャー(Lamont Dozier)の『Dearest One』がリリースされた1962年は、音楽史、そしてアメリカの社会情勢において非常に重要な転換点だった。

1. モータウン伝説の「夜明け前」

1962年当時、モータウン(当時はタムラ・レコードなどを含む複数のレーベルの集合体)は、まだ設立からわずか3年ほどの新興レーベルでした。

  • ソロ歌手としてのラモン: 後に天才プロデューサー・チーム「H-D-H(ホーランド=ドジャー=ホーランド)」として名を馳せるラモンですが、当時は「ソロシンガーとしての成功」を夢見ていました。

  • Mel-o-dyレーベル: 『Dearest One』は、モータウン傘下の「Mel-o-dy」というレーベルから発売されました。このレーベルは、ベリー・ゴーディ・JrがカントリーやR&Bなど、さまざまなスタイルを試行錯誤していた時期の産物です。

2. 音楽スタイルの変遷:ドゥーワップからソウルへ

1960年代初頭は、50年代に流行したドゥーワップ(Doo-wop)の余韻が残りつつ、より洗練された「ソウル・ミュージック」へと進化していく過渡期でした。

  • サウンドの特徴: 『Dearest One』には、50年代風のスローテンポなバラードの構成と、後のモータウン・サウンドに繋がる情熱的なヴォーカル・スタイルの両方が混在しています。

  • ライバルたちの台頭: 同時期には、フィル・スペクターが「ウォール・オブ・サウンド」を確立し始め、音楽業界全体が「プロデューサー主導」の華やかなポップ・サウンドへと舵を切っていました。

3. 社会背景:激動のアメリカと公民権運動

1962年のアメリカは、政治・社会面でも大きな揺れの中にありました。

  • ケネディ政権と公民権運動: ジョン・F・ケネディ大統領の時代で、アフリカ系アメリカ人の権利を求める公民権運動が激化していました。

  • デトロイトの活気: モータウンの本拠地デトロイトは、自動車産業が黄金期を迎え、黒人の中産階級が台頭していました。「黒人が経営し、人種の壁を越えてヒットを飛ばす」モータウンのスタイルは、まさにこの時代の希望の象徴でした。

    結論:裏方への転身を決意させた一曲

実は、この『Dearest One』は商業的に大きなヒットには至りませんでした。皮肉にも、この結果を受けてラモン・ドジャーは「自分は歌うよりも、曲を作り、プロデュースする方が向いているのではないか」と考え始めます。

翌年の1963年、彼はホーランド兄弟と合流。そこから、シュープリームスやフォー・トップスといったスターを輩出する、ポップス史上最強のソングライティング・チームが誕生することになります。