『スタバの蜜芋を映えさせろ!SNS中毒者の悲劇』(架空で空想のショートストーリー)※画像はAIによるイメージを含みます
第一章:バズりの幻影と9月23日の憂鬱
1. 終わらない承認欲求の渇き
2026年9月23日、水曜日の朝。
秋分の日の祝日。明日からの連休明けに向けて少しずつ張り詰めた空気が漂い始めていた。季節は確実に移ろいを見せており、窓の隙間から入り込む風は、夏の終わりを告げるようにわずかな涼気を帯びている。
自称・最先端インフルエンサーのshimoは、高級タワーマンションの──と見せかけるためにわざわざ背景を白壁で統一した、都内のごく一般的なワンルームマンションのベッドで目を覚ました。彼の手が最初に伸びるのは、水でも目覚まし時計でもなく、最新型のスマートフォンの冷たい金属のボディである。

画面をタップすると、SNSの通知アイコンが赤く染まっている。彼にとって、この赤いバッジの数字こそが、自分がこの世界に存在していることを証明する唯一の確かな証だった。
指先で画面を下へスワイプし、フィードを更新する。フォロワーからの「いいね」やコメントの数を一つひとつ確認していくその作業は、砂漠で水滴を舐めるような、満たされることのない終わりのない渇きを伴っていた。
shimoのSNSアカウントは、常に最先端のトレンドを誰よりも早く、そして誰よりも美しく発信することで支持を集めてきた。最新のファッション、手に入りにくい限定のスイーツ、高級ホテルのアフタヌーンティー。
何十万円もする高級なカメラ機材を駆使し、徹底的に計算された構図と、何時間もかけて調整されたフィルターによって生み出される「完璧な世界」。それが彼の作り上げた虚像であり、彼自身のアイデンティティそのものだった。
しかし、その地位を維持し続けることは、想像を絶する苦行でもある。「トレンドを消費すること」そのものに命を懸ける彼は、常に次の獲物を探して目を血走らせていなければならない。少しでも情報のキャッチが遅れれば、すぐに他のインフルエンサーに出し抜かれ、フォロワーたちの興味は残酷なまでに別の場所へと移っていく。
彼にとって、2026年の9月はまさに戦いの連続だった。スターバックスコーヒーが秋の新作を発表したからだ。
2. 9月2日の熱狂と『とろり蜜芋 紅はるか フラペチーノ』
記憶に新しいのは、9月2日の水曜日に発売された「とろり蜜芋」シリーズの鮮烈なデビューである。shimoはその日の朝一番で店舗に並び、誰よりも早くその商品をカメラに収めた。
その名も『とろり蜜芋 紅はるか フラペチーノ®』。
この一杯は、shimoにとって完璧な「被写体」だった。主役となるのは、国産の紅はるかを使用した、とろりとなめらかな蜜芋ペースト。通常、焼き芋は温かい状態で食べるものだが、スターバックスはそれをあえて冷やすという魔法をかけた。冷やされたことによって密度が高まり、粘り気を増した蜜芋ペーストは、カップの底や側面に美しい黄金色のマーブル模様を描き出していた。

shimoは当時の撮影を思い出す。さっぱりとしたミルクベースの白いフラペチーノと、黄金色の蜜芋ペーストのコントラスト。その上には、ふんわりとした純白のホイップクリームがうず高く絞られ、さらに焼き芋風味のソースがとろりと滴るようにかけられていた。そして極めつけは、散りばめられた焼き芋風味のチップである。
彼は店外のテラス席に移動し、朝の柔らかい自然光の下で、その完璧な造形を何十枚も撮影した。ストローを差し込む前に、レンズ越しに見るその姿は、秋の訪れを祝う芸術作品のようだった。

投稿には、徹底的にリサーチした情報を添えた。
「冷やして、とろり蜜芋。紅はるかの濃厚な甘みと、焼き芋風味チップのカリカリとした食感のアクセントがたまらない。エスプレッソショットを追加すると、甘さの中にほろ苦さが加わって、大人の贅沢なデザートに早変わりするからおすすめ!アーモンドミルクに変更してコクを出すのも大正解だよ」
この投稿は、彼の目論見通り、瞬く間に大バズりした。
「さつまいもをそのまま飲んでいるみたい!」
「チップのカリカリ感が最高」
「shimoさんの写真、いつも神がかってて美味しそう!」といったコメントが殺到し、承認欲求のメーターは振り切れた。
3. 優雅なティータイムの演出
同時に発売された『とろり蜜芋 紅はるか ムース ティー ラテ』もまた、彼のフィードを華やかに彩った。
こちらは、ダージリンとアッサムを中心とした香り高いティーをベースにした、アイス限定のビバレッジだ。ドリンクの上には、まるで雲のようにふわふわとした食感のさつまいも風味のムースがたっぷりと乗せられている。

shimoは、ガラスのグラスに移し替えて撮影するという小技を使った。下層に沈む蜜芋ペースト、中層の透き通るような紅茶の色、そして上層のふわふわのムースという三層構造を際立たせるためだ。
「一口目は、ふわふわのムースと一緒にさつまいもの風味を楽しんで。そのあとはストローで全体をぐるぐると混ぜると、蜜芋ペーストの甘みと紅茶の芳醇な香りが混ざり合って、今までにない新感覚のティー体験ができるよ。甘さがくどくなくて、スッキリ飲めるから、ティー好きには絶対におすすめ!」
ネット上でも、「お芋と紅茶の組み合わせがこんなに合うなんて新しい」「ムースがずっと食べていたいくらい美味しい」「甘すぎずさっぱり飲めるのが最高」といった声が溢れ、shimoの投稿はさらに拡散されていった。
彼はこの二つの商品によって、9月前半のSNSの覇権を握ったと確信していた。「とろり蜜芋」シリーズは、彼に甘美な勝利の味をもたらしてくれたのだ。
第二章:新たなる刺客と、見えない敵への焦燥
1. トレンドの賞味期限は残酷なまでに短い
しかし、SNSのタイムラインに流れる時間は、現実世界のそれよりも遥かに速い。昨日まで世界中が熱狂していたものでも、三日も経てば「古いもの」として消費され、忘れ去られていく。
9月も後半に入り、フラペチーノやムースティーラテの投稿もすっかり落ち着きを見せ始めた頃、スターバックスは次なる一手を打ってきた。
9月18日、金曜日。突如として発売されたのが『蜜芋 ミルク』である。
「とろり蜜芋」シリーズに続く第三の矢として放たれたこの商品は、瞬く間にネット上の話題を掻っ攫っていった。shimoが目を覚ましてSNSのトレンドワードを見たときには、すでに「蜜芋 ミルク」の文字が上位に食い込んでいた。
彼は焦りを感じながら、布団の中で血眼になって情報を収集した。
ネット上の評判は、すこぶる良い。
「シンプルイズベスト」
「究極の癒やし」
「飲むスイートポテトみたいで最高」
「コーヒーもティーも入ってないから、純粋に芋とミルクの美味しさがダイレクトに伝わってくる」といった、絶賛の嵐である。
どうやら、この商品は「なくなり次第終了」という、いつものスターバックスの期間限定商品の宿命を背負っているらしい。「早く飲まないと終わってしまうかも」という焦燥感が、さらに人々の熱狂を煽っていた。
インフルエンサーとして、この波に乗らないわけにはいかない。今日、9月23日のうちにこの『蜜芋 ミルク』を完璧にレビューし、圧倒的なクオリティの写真とともに投稿しなければ、自分は「情報に遅れた敗北者」の烙印を押されてしまう。shimoの脳内で、危険を知らせるサイレンが鳴り響いていた。

2. 「シンプルすぎて、映えない…!」
しかし、商品画像を検索したshimoの手が、ピタリと止まった。
画面に映し出された『蜜芋 ミルク』の姿に、彼は息を呑んだ。
そこにあるのは、トールサイズの透明なカップに注がれた、ただの白い液体と、その底に沈む黄色のペーストだけだった。
フラペチーノのような、立体的なホイップクリームの山はない。
食感を予感させる、焼き芋風味のチップも乗っていない。
シロップが描く、芸術的なマーブル模様もない。
ムースティーラテのような、美しい色の三層構造すらない。
ただ、ブレンダーでふんわりと仕上げられた白いミルクと、国産紅はるかを使用した蜜芋ペースト、そしてクラシックシロップ。それらを合わせただけの、極限まで削ぎ落とされたシンプルな見た目。
「嘘だろ……シンプルすぎて、映えない……!」
shimoは、冷や汗が背中を伝うのを感じた。
彼がこれまでバズらせてきたのは、色彩豊かで、立体的で、誰が見ても「華やか」で「高価そう」なものばかりだった。視覚的な情報量が多ければ多いほど、SNSではウケがいい。それをどうやってさらに盛って見せるかが、彼の腕の見せ所だった。
だが、この『蜜芋 ミルク』はどうだ。あまりにも素朴すぎる。これでは、どんなに高級なカメラを使っても、ただの「下に黄色いものが沈んだ牛乳」にしか見えないではないか。
「いや、俺ならやれる。俺の腕と、この機材さえあれば、どんな地味な被写体でも極上のエンターテインメントに仕立て上げられるはずだ」
彼は自分自身を鼓舞するように呟き、跳ね起きるようにしてベッドを出た。
3. 戦場へ向かうための過剰な武装
shimoは、戦地に赴く兵士のように、念入りに準備を整えた。
数十万円を下らないドイツ製の高級ミラーレス一眼カメラ。単焦点の明るいレンズ。自然光をコントロールするための小型のレフ板。そして、彼が「秘密兵器」として持ち出したのは、前日にネット通販で急遽取り寄せた「撮影用の落ち葉(造花)」だった。
秋らしさを演出するためには、小道具が不可欠だ。商品単体で映えないのなら、背景と世界観で圧倒するしかない。高級なものが常に素晴らしい結果をもたらすという、彼の中に凝り固まった信仰が、その過剰な荷物を正当化していた。
ブランドロゴが大きく入ったバッグにそれらを詰め込み、彼は鏡の前で自分の服装をチェックする。ラフに見えて実は計算し尽くされたハイブランドのコーディネート。靴の汚れ一つないことを確認し、彼はアパートの扉を開けた。
2026年9月23日、shimoにとっての戦いの日が、幕を開けた。
第三章:戦場としてのスターバックス
1. 行き交う人々の、それぞれの人生
駅前の通りを歩きながら、shimoは周囲の人々に目を向けた。
スマートフォンを見つめながら歩くスーツ姿の若者。ベビーカーを引きながら談笑する母親たち。古びたスニーカーを履き、スーパーの袋を下げて歩く老人。
彼らはみな、shimoの目には「背景の住人」として映っていた。高級な服を着て、最先端の情報を発信し、何万人ものフォロワーから称賛を浴びる自分とは違う、平凡で退屈な人生を送っている人々。彼は無意識のうちに、他人の持ち物や身なりで人間の価値を値踏みし、自分の方が上であると優越感に浸ることで、心のバランスを保っていた。
しかし、なぜだろうか。今日に限って、彼らの横顔が少し違って見えた。
すれ違った若きビジネスマンは、決して高級とは言えないスーツを着ていたが、その表情には何かを成し遂げたような清々しい疲労感と充実感が漂っていた。ベビーカーを押す母親の笑顔は、どんな高級な宝石よりも輝いて見えた。
彼らは皆、それぞれの場所で、誰かと比較することなく、自分自身の足でしっかりと地面を踏みしめて歩いている。その確かな足取りが、ふと、空虚なSNSの世界で浮き足立っている自分の足元を揺るがすような気がした。
「いかんいかん、気を取り直せ。俺には俺の戦いがある」
shimoは頭を振り、雑念を振り払って、見慣れた緑色のロゴマークが掲げられた店舗へと足を踏み入れた。

2. レジでの対峙と、手渡された現実
店内は、祝日明けの午前中にもかかわらず、多くの人で賑わっていた。コーヒーの芳ばしい香りと、エスプレッソマシンの軽快な音が、心地よい空間を作り出している。
レジの列に並び、彼の番が来た。グリーンのエプロンをつけた女性スタッフが、太陽のように明るい笑顔で彼を迎えた。
「おはようございます!ご注文はお決まりですか?」
「あ、えっと……『蜜芋 ミルク』を。トールサイズで」
「かしこまりました!『蜜芋 ミルク』はアイスのみのご提供となりますが、よろしいでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
shimoは心の中で、ネット上の情報を反芻していた。
そう、この商品はアイス限定なのだ。ホットでは提供されていない。ふんわりと仕上げられたミルクのまろやかさと、紅はるかのペーストを一番美味しく味わうための、スターバックスの計算なのだろう。
「ちなみに、シロップをホワイトモカシロップに変更したり、アーモンドミルクに変更したりするカスタムも、デザート感が増してとってもおすすめですよ!」
店員が親切に提案してくれた。ネットでも話題になっていた「飲むお芋タルト風カスタム」だ。しかし、shimoは首を横に振った。
「いえ、今日はそのままで。素材の味を、シンプルに楽しみたいので」
インフルエンサーとしては、まずはデフォルトの姿を完璧に捉えなければならないという使命感があった。それに、これ以上見た目が白っぽくなるカスタムは、撮影の難易度を上げるだけだという計算もあった。
「かしこまりました!『蜜芋 ミルク』、そのままの美味しさをご堪能ください。お会計、630円になります」
カウンターで待つこと数分。彼の名前が呼ばれ、ついにターゲットが手渡された。
受け取った瞬間、shimoは再び絶望の淵に立たされた。
画像で見た通りの、いや、実物はそれ以上に「シンプル」だった。
透明なカップの底には、ぽってりとした黄金色の蜜芋ペーストが沈んでいる。その上には、ブレンダーで空気を含ませた真っ白なミルクが注がれている。氷がカラカラと涼しげな音を立てているが、それだけだ。
フラペチーノのように上に盛り上がった部分がないため、カップのフタは平らなものが使われている。一切の無駄を省いた、まるで禅の思想を体現したかのような佇まい。
「これを……どうやって映えさせろって言うんだ……」
彼は冷や汗を流しながら、トレイを持って店内の奥へと向かった。
第四章:狂気の撮影会と虚飾のSNS
1. 極限のセッティングと痛い視線
shimoは、店内の最も奥まった、窓際から自然光が斜めに差し込む絶好の席を確保した。
周囲を見渡し、他の客の視線がないことを確認すると、いよいよ武装を解除し、作業に取り掛かった。
バッグからドイツ製の高級カメラを取り出し、レンズキャップを外す。次に、周囲に怪しまれないように細心の注意を払いながら、持参した「撮影用の落ち葉」をテーブルの上に散らしていく。カップの横に数枚、手前にぼかしを入れるために一枚。
「これで、秋の風情が出るはずだ……」
ファインダーを覗き込み、露出を調整する。白いミルクが白飛びしないように、かつ底の蜜芋ペーストの黄金色が鮮やかに沈まないように、絶妙なバランスを探る。F値を極限まで下げ、背景をぼかすことで、このシンプルなカップだけが世界に存在しているかのような幻想的な空間を作り出そうとする。
しかし、どう撮っても、ただの「牛乳と芋のペースト」なのだ。被写体自身が持つ圧倒的な情報量が、圧倒的に足りない。
彼は焦りから、フィルターの設定をいじり始めた。色温度を暖色系に極端に寄せ、コントラストを不自然なまでに高く設定する。現実の『蜜芋 ミルク』の素朴で優しい色合いは、画面の中では毒々しいほどの黄金色と、純白というよりは青白いミルクの対比へと変貌していった。
カップを少し傾けたり、落ち葉の位置をミリ単位で修正したりしながら、何十枚、何百枚とシャッターを切る。
その時、ふと視線を感じて顔を上げると、斜め向かいの席に座っていた女子高生二人組が、彼の方を見てヒソヒソと笑っていた。
テーブルの上に造花の落ち葉をぶち撒け、冷や汗をかきながらカメラを構える大の大人の姿。それが客観的に見てどれほど滑稽で、異常な光景であるか。
shimoの顔がカッと熱くなった。他人の評価を何よりも気にして生きている彼にとって、人前で恥をかくことは死を意味する。しかし、ここで撮影を諦めるわけにはいかない。
「笑いたければ笑え。俺はこの写真で、何万もの『いいね』を稼ぐんだ」
彼は心の中で毒づきながら、再びファインダーに目を落とした。
2. 擦り切れた言葉と爆発する「いいね」
納得のいく一枚が撮れる頃には、氷はすっかり溶け始め、カップの表面には大量の結露が浮かんでいた。
shimoはスマートフォンに画像を転送し、最後の仕上げに取り掛かる。画像のレタッチアプリでさらに色味を強調し、現実には存在しないような「完璧な秋の飲み物」を錬成した。
次に、投稿文の作成である。
『とろり蜜芋 紅はるか フラペチーノ』の時は、チップの食感やソースの甘みなど、書くべきことが山ほどあった。しかし、この『蜜芋 ミルク』について、彼は何を語ればいいのか。まだ一口も飲んでいない彼には、その本質がわからない。
結局、彼はネットで拾い集めた言葉と、自分自身の虚栄心を継ぎ接ぎしたような、心の擦り切れた文章を打ち込んだ。
「秋の深まりを感じる今日この頃。スタバの新作『蜜芋 ミルク』で、初秋の清々しさと、ほっとするひとときを。余計なものを一切削ぎ落とした、シンプルイズベストな至極の一杯。紅はるかの濃厚なペーストと、ふんわりミルクの究極の癒やし。この美しさ、伝わるかな? #スタバ新作 #蜜芋ミルク #秋の気配 #丁寧な暮らし」
嘘ばかりだった。「ほっとするひととき」どころか、彼は今、極度の緊張と焦燥感で胃が痛かった。「丁寧な暮らし」とは程遠い、造花の落ち葉を散らかしたテーブル。
しかし、そんな真実はSNSの世界には関係ない。
彼は迷いを振り切るように、送信ボタンをタップした。
数分後。
スマートフォンの画面は、激しい通知の嵐に見舞われた。
「いいね」の数は瞬く間に千を超え、コメントが次々と寄せられる。
「さすがshimoさん!写真が綺麗すぎてポスターみたい!」
「落ち葉の演出が素敵すぎる。センスの塊ですね!」
「シンプルなのに、こんなに美味しそうに撮れるなんて魔法使いですか?」
賞賛の言葉のシャワー。彼が最も欲していた、他者からの承認。
しかし、なぜだろうか。彼の胸の奥にある空洞は、全く満たされる気配がなかった。
画面の中で輝く『蜜芋 ミルク』は、彼が極限まで加工し、現実を捻じ曲げて作り上げた「偽物の偶像」だ。フォロワーたちが賞賛しているのは、目の前にある本当の飲み物ではなく、彼が作り上げた虚像でしかない。
その事実に気づいた時、急激な虚しさが彼の全身を覆い尽くした。
第五章:本当に美味しいものと、本当に大切なもの
1. ぬるくなった一杯がもたらす衝撃
撮影という名の儀式を終え、shimoは大きく息を吐き出した。
テーブルの上に置かれた『蜜芋 ミルク』は、すでに氷がかなり溶け、カップを手にしたときのひんやりとした冷感も薄れていた。
「すっかりぬるくなっちまったな……」
彼はストローを袋から取り出し、カップに差し込んだ。
店員が「底に蜜芋ペーストがたまりやすいので、全体をよく混ぜてお飲みくださいね」と言っていたのを思い出し、彼はストローで底のペーストと上のミルクをゆっくりと撹拌した。
黄金色のペーストがミルクの中に溶け出し、純白だった液体が、次第に優しい淡いクリーム色へと変化していく。その混ざり合う様子は、派手さこそないが、どこか心が安らぐような、素朴な美しさがあった。
彼は、ぬるくなった液体をゆっくりと吸い上げた。
その瞬間である。
「……!」
shimoの目が見開かれた。
口の中に飛び込んできたのは、驚くほどまろやかで、ふんわりとしたミルクの優しい舌触り。そしてその直後、紅はるかの蜜芋ペーストが持つ、暴力的なまでの濃厚なコクと深い甘みが、脳髄を直接包み込むように広がっていった。
コーヒーの苦味も、ティーの香りもない。ただ純粋に、質の高いミルクと、極限まで甘みを引き出された蜜芋だけが、口の中で完璧なハーモニーを奏でている。
それはまさに、上質なスイートポテトをそのまま飲んでいるかのような、圧倒的な多幸感だった。
氷が溶けてぬるくなっていたことが、かえって蜜芋の風味を際立たせ、甘みをより強く、深く感じさせていた。
『とろり蜜芋 紅はるか フラペチーノ』のような、ホイップやチップによる複雑な食感の楽しさはない。しかし、この『蜜芋 ミルク』には、ごまかしのきかない「素材の力」そのものが宿っていた。
着飾る必要など、最初からなかったのだ。この一杯は、そのシンプルな姿の奥に、とてつもなく豊かで、力強い美味しさを秘めていた。
「あ、本当に美味しい……」
誰も聞いていない空間で、shimoの口から本音がこぼれ落ちた。
加工された写真でも、飾られた言葉でもない、彼自身の舌が感じた、絶対的な真実。
その美味しさに打ちのめされた時、彼は強烈な自己嫌悪に襲われた。
「俺……何やってるんだろ」
この素晴らしい一杯を、ただの「SNSの小道具」として扱い、冷めるまで放置し、挙げ句の果てには現実とは違う色に塗り替えて、世界中に発信してしまった。
食べ物に対する冒涜であり、何より、彼自身の心が完全に麻痺している証拠だった。
2. アカウント消去の衝動と、新しい視界
スマートフォンの画面では、相変わらず通知が鳴り止まない。
増え続ける「いいね」の数字が、今はまるで彼を嘲笑う呪いのカウンターのように見えた。
「こんなもの……全部嘘っぱちじゃないか」
彼は、何十万ものフォロワーを抱えるこのアカウントを、今すぐ消去してしまいたいという強烈な衝動に駆られた。何十万円のカメラも、ハイブランドの服も、全てが薄っぺらな鎧に思えた。
ふと顔を上げると、視界の先で、初老の夫婦が仲睦まじくテーブルを囲んでいた。
二人の手元には、shimoと同じ『蜜芋 ミルク』が一つずつ置かれている。彼らは写真を撮るわけでもなく、ただニコニコと顔を見合わせながら、ストローでドリンクをすすっていた。
「お父さん、これ、本当に美味しいわね。お芋の味がしっかりしてて」
「ああ。甘くて、疲れが吹き飛ぶようだ」
二人の間には、穏やかで、確かな幸福の時間が流れていた。彼らは、誰かに見せびらかすためではなく、純粋に自分たちの喜びのために、その一杯を味わっていた。

レジの方に目を向けると、先ほど彼を笑顔で迎えてくれた店員が、次々と訪れる客に対して、一杯一杯、丁寧にドリンクを作り続けていた。彼女の額にはうっすらと汗がにじみ、その働きぶりは真剣そのものだった。
誰もが、自分自身の人生という物語を、精一杯に生きている。
そこに、特別なスポットライトを浴びる者や、ただ背景として存在するだけの者など、一人もいない。一人ひとりが自分の足で立ち、自分の目で世界を見つめ、自分の舌で美味しさを感じ、誰かのために働き、その無数の営みが重なり合って、この社会は美しく回っているのだ。
高級なものを身につけ、他人を見下し、何者かになろうと必死に背伸びをしていたのは、自分だけだった。
他人の物差しで自分の幸せを測り、フォロワーの数で人と競い合い、常に誰かを羨み、妬み、そして見下すことでしか自分を保てなかった。
そんな生き方が、この素朴で飾らない、けれど圧倒的に美味しい『蜜芋 ミルク』の前に、もろくも崩れ去っていくのを感じた。
第六章:レンズを下げて、世界を見る
1. 飾らない言葉の価値
shimoは、テーブルの上の造花の落ち葉を静かにかき集め、バッグの奥底に突っ込んだ。
そして、何十万円もする高級カメラの電源を切り、レンズキャップをはめて、それもバッグにしまった。
彼は、もう一度スマートフォンを取り出した。
カメラアプリを起動し、今度は何のフィルターもかけず、ありのままの色合いで、飲みかけの『蜜芋 ミルク』を撮影した。

カップには水滴がつき、中身は混ざり合って少し濁っている。背景には、何の変哲もないスターバックスの店内がぼんやりと写っているだけ。
お世辞にも「映える」とは言えない、日常のワンシーンを切り取ったような、不格好な写真。
しかし、彼はその写真を、自分のSNSのサブアカウント──誰もフォロワーがいない、彼が本音を書き留めるためだけに使っていた鍵付きのアカウント──に投稿した。
「見た目は本当に地味だし、写真も綺麗に撮れなかったけど。今年飲んだ中で、一番美味しかった。ホイップもチップもないけど、お芋とミルクの本当の甘さが、心に染みた」
そこには、ハッシュタグも、計算された虚飾もない。
ただ、一人の人間が、美味しいものを美味しいと感じた、純粋な感動だけが綴られていた。
「いいね」は一つもつかない。けれど、彼の心の中の空洞は、紅はるかの濃厚な甘みと、自分自身の飾らない言葉によって、静かに、そして確実に満たされていくのを感じた。
2. 新しい朝への一歩
残りの『蜜芋 ミルク』をゆっくりと、最後の一滴まで味わい尽くすと、shimoは席を立った。
トレイを返却口に片付けながら、カウンターの奥で働く店員たちに向けて、彼は小さく、しかしはっきりとした声で言った。
「ごちそうさまでした。すごく、美味しかったです」
店員は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに、満面の笑みで「ありがとうございます!またお待ちしております!」と返してくれた。
その笑顔は、彼がSNSで得てきた何万もの「いいね」よりも、ずっと温かく、価値のあるものに思えた。
自動ドアを抜けて外に出ると、秋分の日を過ぎた9月23日の空は、どこまでも高く、澄み切っていた。
頬を撫でる風は涼しく、街路樹の葉がわずかに色づき始めているのがわかる。それは、造花の落ち葉なんかよりも、ずっと美しく、生命力に溢れていた。
shimoの足取りは、店に入る前よりもずっと軽かった。
高級ブランドのバッグが肩に食い込む感覚も、今はそれほど気にならない。
レンズ越しに他人の評価を気にしながら生きるのではなく、自分の目で、自分の感覚で、この世界と向き合ってみよう。
誰かと比べる必要はない。誰もが、自分の足元にある幸せを噛み締めながら、懸命に生きているのだから。
彼は大きく深呼吸をして、秋の空気と、口の中に残るかすかな蜜芋の甘みを感じながら、人混みの中へと歩き出した。
明日からも、社会は彼ら一人ひとりの確かな営みによって、希望とともに回り続けていく。
その輪の中に自分も確かに存在しているという喜びが、彼の胸の奥で、小さく、けれど力強く脈打っていた。
(完)
このショートストーリーは、以下のサイトを参考にさせて頂きました。
秋へ移りゆく季節にスターバックスで“冷やしとろり蜜芋”を楽しむ『とろり蜜芋 紅はるか フラペチーノ®』『とろり蜜芋 紅はるか ムース ティー ラテ』9月2日(水)より登場
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000276.000033194.html
