「死中に活を求める」
このことわざの意味は、助かる見込みのない絶望的な状況でも、なお助かる道を探すこと。難局を打開するために危険な状況に立ち向かっていくこと。
数か月前から交渉が続いていた日米関税交渉が一定の合意に達したらしい。
25%の関税という日本経済にとって絶望的ともいえる高い関税が8月1日にも発効する直前になって、とりあえずは15%という関税率で交渉がまとまったということだ。
この数字がもたらす影響がどれほどなのか、私たち庶民には体感できない。25%よりはマシだけどくらいの認識だ。
それにしても、新聞各社の論調などを見ると、元々はトランプ大統領の言いがかりとも言えるような関税の押し付けから事は始まっている。
それに各国は対応するしかないという一方的な力技の押し付けは、アメリカという超大国が行うことなのだろうか?
もちろん、私たちには知らされることのない高度な政治的判断などがいくつも折り重なっての交渉なのだろう。
だから、我々一般庶民に「関税交渉が15%で合意」などとだけ報じられても、「ふーん、それはお疲れ様でした」くらいの感想にしかならない。
先日の参院選の結果を受けての国内政治の混乱、消費税、社会保障、少子化高齢化、外国人問題、記録的な猛暑酷暑、様々な国内問題が乱立する中でも答えを出すことができない政治に我々国民は失望するばかり。
政治や行政に甘えることなく、自分で自分の生活を守ることで必死になる。それはそれで、我々一般庶民が「死中に活を求める」ということだろう。
みんな誰しも自分の人生にはそれぞれなりの課題がある。それは果てしなく難しい課題で、その課題が解消することはいつまでもないけれど、難局を打開するために危険な状況に立ち向かっていこう!
「死中に活を求める」