北斗の拳の日(9月13日 )に学ぶ『知恵と力は重荷にならぬ』

『知恵と力は重荷にならぬ』

読んでそのままの意味だが、知恵と力はいくらあってもあり過ぎて困ることはないということ。

今日9月13日は北斗の拳の日だそうだ。1983年(昭和58年)9月13日から少年ジャンプで連載が始まったことに由来する。

連載当時は自分も愛読者の一人だった。

初めて北斗の拳を読んだときの感想は、こんな暴力がはびこる世になったら一番最初に強者どもの餌食になると、比較的小柄で華奢だった自分は震え上がったものだ。

それが、今の世の中では冗談で頭や体を叩くことも言動や雰囲気で相手を威圧することさえもハラスメントととらえられる時代になった。

これはまさに人間の知恵が働き、暴力やで対人関係をコントロールすることを否定してきたことなんだと思う。

そう考えると、昭和時代にはまだまだ世の中の暴力は今よりも全然身近だったし、明治・江戸やそれ以前の時代に一般庶民の生活規律はどのように治安を保っていたのだろうか?

歴史を見ても、武家社会や公家社会は解説されていても、一般庶民の暮らしのルールや対人関係の強弱は語られていない。

当然ながら、大きくて強くて強面の人もいれば、小柄で非力な人もたくさんいたことだろう。

法律や公共のルールなどは今ほど整備されていないし、それを定めても広報もできなければ破っても取り締まることも難しかったはずだ。

そんな時代にも何とか人は自衛し家族を守り、必死に生活を保ってきた延長が現代につながっている。

だんだんと文明が進化する過程で、暴力は取り締まられることとなり、治安を維持するための知恵が絞られてきた。

このようなことを想像するだけでも『知恵と力は重荷にならぬ』ということわざの意味を重く感じる。

極真空手創始者の大山倍達総裁の言葉にこんな言葉がある。
『力なき正義は無能なり、正義なき力は暴力なり』

まさに世の中には知恵も力もどちらも両輪で必要だということだ。
『文武両道』ともいえる。

力とは決して暴力であってはいけないし、知恵も人を出し抜くものであってはならない。

『知恵と力は重荷にならぬ』