『余韻嫋嫋』(よいんじょうじょう)
心地よい音や詩文が、鳴りやんでも細く長く響き続ける様子を指す四字熟語。心に残る出来事の印象や、詩文などがもたらす風情や余情が長く残ることをたとえる言葉。
「余韻」とは、音が鳴りやんだ後に残る響きや、物事が終わった後に残る味わいのこと。
「嫋嫋(じょうじょう)」とは、音が細く、長く、しなやかに響き続ける様子を表す言葉。
ハリウッド女優のダイアン・キートンさんがお亡くなりになった。79歳だったそうだ。
彼女の代表作といえば、あの「ゴッドファーザー」。アル・パチーノが演じるマイケルの同級生であり奥さん役だった。
現代では「ゴッドファーザー」のような長くて重い映画はあまり作られないような気がするが、初めて「ゴッドファーザー」を観たときは、その人間模様に圧倒されたことをよく覚えている。
「ゴッドファーザー」第一作目の終盤、マイケルが二代目ゴッドファーザーとして徐々に変わっていく様に戸惑う場面、ダイアン・キートンの演技力が非常に印象的だった。
今思い出しても彼女も含めた「ゴッドファーザー」という作品に対して『余韻嫋嫋』(よいんじょうじょう)という言葉に表される感動が続いている。
思えば、人間にはいろいろな環境で育ってきたキャラクターがあり、立場によって人間は違いが出るし変わってもいく。利害関係もあるし、その軋轢から争いになることもある。
そんなことを教えてくれたのが「ゴッドファーザー」という作品だった。
日本にも「極道」という少し似たような組織もあっただろうし、昔はそのような人が神社のお祭りや縁日の出店を仕切っていた時代もあったと聞く。
政治でもリーダーが必要だし、裏社会というか日の当たり難い社会にもやはり仕切り役がいなければ荒れ放題ということになる。
それが人間社会ということだと「ゴッドファーザー」に教えてもらった感覚が自分の中では『余韻嫋嫋』(よいんじょうじょう)に続いている。
ダイアン・キートンさんのご冥福をお祈り申し上げます。
