「~ちゃん付け」セクハラで損害賠償に学ぶ『以人為鑑』(いじんいかん)

『以人為鑑』(いじんいかん)

他人の言動を参考に、自分の言動の良かった点・悪かった点を反省し、戒めとすることを意味する四字熟語。

出典は『旧唐書』の魏徴伝にあった「以銅為鑑,可以正衣冠;以古為鑑,可知興替;以人為鑑,可明得失」という言葉で、「銅を鏡とすれば衣冠を正すことができる。古(歴史)を鏡とすれば興替を知ることができる。人を鏡とすれば得失を明らかにすることができる」という意味になる。

これは唐の太宗が、直言して仕えた名臣・魏徴の死を悼んで、「私は今までこの三つの鏡を保ってきたが、魏徴が亡くなり、もう一つ鏡を失ってしまった」と語った言葉だそうだ。

「以人為鑑,可明得失」という言葉が『以人為鑑』(いじんいかん)と短縮され、人の言動は自分自身の姿を映し出す鏡のようなものであり、人の言動を見て、自分自身の良い点(「得」)や悪い点(「失」)を学び、自分の言動を顧ることができる。

他人の言動や他人の過ちを見て自分はそうならないように戒めたり、良い点があれば真似ることでより良い自分に成長することができるという意味も含んでいる。

東京地裁が、佐川急便の元従業員女性が同僚男性から受けた「ちゃん付け」呼びなどの行為をセクハラと認定し、男性に22万円の慰謝料支払いを命じる判断を下した。

ただ、「~ちゃん付け」でセクハラという見出しが付いているものの、報道内容を見ると体系のことや下着のことなど抵抗感を強く感じる言動が不適切だという理由も付け加えられている。

いつものオールドメディアの常とう手段で少しミスリードを誘うような見出しこそが不快感ではあるが、この報道は職場も含めた人間同士の関係性を考え直す機会にはなるだろう。

きっと訴えた側の女性も不快感や不愉快を表していただろうし、会社などにも伝えていたのだろうが、それに対して対応を変えなかったから慰謝料の支払いが命じられたと推察する。適切な対応を取らなかった会社も同様だ。

『以人為鑑』(いじんいかん)という言葉にあるように、職場でも知人でも人間関係で相手は不快や不愉快と感じていることは端々で感じ取ることができるはず。

その時点で距離感を修正していれば、「~ちゃん付け」でセクハラ損害賠償という裁判までは発展しなかったのではないだろうか?

人の言動は自分自身の姿を映し出す鏡のようなもの。

人の言動を見て、自分自身の良い点や悪い点を学んで、自分の言動を顧ること大切だ。

『以人為鑑』(いじんいかん)