令和8年2月8日 今日も平凡な一日にありがとう!

 

永田町の「長い一日」―令和8年2月8日、その深層(架空のショートストーリー)

プロローグ:深夜の赤坂、赤く染まる地図

令和8年2月8日、深夜。赤坂の雑居ビルにある馴染みのバーで、私はぬるくなった水割りを回していた。テレビの画面には、日本列島が自民党のイメージカラーである「赤」で塗りつぶされていく様子が映し出されている。

「また、景色が変わっちまったな……」

独り言が漏れた。私の名前はshimo。新聞記者として、歴代総理大臣の番記者を三十年以上務めてきた。権力の絶頂と、奈落の底。その両方を見てきた私にとって、この「歴史的大勝」という言葉は、単なる数字以上の重みを持って迫ってくる。

この日は、単に一政党が勝った日ではない。日本の政治という巨大な振り子が、かつてない振幅を経て、一つの極に固定された「構造転換の日」として記憶されることになるだろう。


第一章:二度の下野と、劇薬という名の「郵政解散」

私が駆け出しだった1993年(平成5年)、自民党は最初の「下野」を経験した。細川護熙という貴公子を担いだ連立政権の誕生だ。あの時の永田町の狼狽ぶりは今も鮮明に覚えている。党本部の廊下に積み上げられた段ボール箱と、行き場を失った重鎮たちの背中。自民党という絶対神話が崩れた瞬間だった。

しかし、その後の紆余曲折を経て、自民党は「政治のプロ」としての凄みを見せつける。その頂点が、21年前の同じ日、8月8日に解散が宣言された2005年の「郵政解散」だ。

小泉純一郎。あの男は「自民党をぶっ壊す」と言いながら、実は自民党を「最強のポピュリズム集団」へと作り替えた。あの時の選挙は、もはや政策論争ではなかった。一種の劇場型の狂騒曲だ。私はあの熱狂を追いかけながら、政治が「論理」から「情熱」へと変質していくのを肌で感じていた。


第二章:悪夢と奪還、そして石破という「冬の時代」

だが、栄華は長くは続かない。2009年、二度目の下野。民主党への政権交代だ。この時の自民党は、かつての凄みさえ失い、ただただ老いさらばえた巨象のように見えた。

それを救い出したのが、安倍晋三だった。2012年の政権奪還。彼は「日本を取り戻す」という旗印の下、政治に「安定」という名の盤石な基盤を築いた。だが、長期政権の弊害は澱(おり)のように溜まり、後の石破茂政権において、ついにその限界が露呈する。

思い出されるのは、つい数年前の令和の「石破解散」での大敗だ。 「納得と共感」を掲げたはずの石破氏だったが、党内の不協和音と国民の冷ややかな視線の板挟みになり、自民党は過半数割れという屈辱を味わった。維新の台頭、公明との軋轢。あの時、誰もが「自民党一強の終焉」を確信したはずだった。


第三章:令和8年2月8日、何が起きたのか

では、なぜ今夜、再び日本列島は赤く染まったのか。

令和8年2月8日。この日の勝因は、皮肉にも「石破時代の大敗」という浄化作用にあったと私は見ている。大敗を経て、自民党は長年抱えていた古い膿を、痛みと共に削ぎ落とさざるを得なかった。代わって台頭したのは、イデオロギーに固執しない実務的な保守層と、SNSを完全に掌握した次世代の政治家たちだ。

今回の選挙で、自民党は「保守」という言葉の再定義を行った。それは伝統を守ることではなく、「変化を管理する能力」としての保守だ。物価高、エネルギー危機、不安定な東アジア情勢。不安に震える国民は、夢を語る野党ではなく、消去法的に「管理能力」を選んだ。

石破氏が失敗した「理想主義的な改革」ではなく、もっと即物的な、生活に根ざした「生存戦略」としての政治。それが今回の、歴史的な議席数に結びついたのだ。


第四章:これからの勢力図、消える「左右」の境界線

今夜の勝利を受けて、日本の政治勢力図は劇的に変わるだろう。

  • 保守派の変質: 従来の「愛国」を叫ぶだけの保守はもはや主流ではない。DX(デジタル・トランスフォーメーション)や経済安全保障を冷徹に推進する「テクノ・コンサバティブ(技術保守)」が権力の中枢を占める。

  • 中道派の霧散: かつて「中道」と呼ばれた有権者は、自民党の現実路線に飲み込まれた。結果として、かつての第3極は自民党の補完勢力か、あるいは消滅の危機に瀕するだろう。

  • 左派の役割: これまでのような「批判のための批判」は、もはや国民のエンターテインメントにすらならない。今後、左派が生き残る道は、北欧のような「超具体的・超局所的」な福祉モデルを提示する、特化した専門家集団へと移行せざるを得ないだろう。


エピローグ:ペンの重み

グラスが空になった。テレビでは、当確マークが並ぶ中で、万歳三唱をする当選者たちの顔が映っている。

「shimoさん、次の締め切り、いけますか?」 後輩記者からのLINEが震える。私は立ち上がり、コートを羽織った。

令和8年2月8日。この日は、自民党が勝利した日としてだけではなく、日本人が「夢」よりも「持続可能性」という名の安定を、明確な意志として選択した日として、教科書に載るだろう。

だが、記者の仕事はここからだ。強すぎる権力は、必ず腐敗する。それは私がこの三十年で嫌というほど見てきた真理だ。日本中がこの勝利に酔いしれている今こそ、私はその「赤」の中に潜む、小さな黒いシミを見つけ出さなければならない。

永田町の夜は、まだ明けない。