令和8年2月14日 今日も平凡な一日にありがとう!

 

【特集】百年の孤独、あるいは百年の祝祭 —— 1926-2026、ある日本人の肖像(架空のショートストーリー)

2026年(令和8年)2月14日。 東京、世田谷の閑静な住宅街にある高齢者向けレジデンスの一室。窓の外には、季節外れの暖気を含んだ風が吹き、早咲きの梅を揺らしている。

部屋の主の名は、shimo。 今日、彼は満100歳の誕生日を迎えた。 サイドテーブルには、曾孫から届いたホログラムメッセージカードと、贈り物のチョコレートが置かれている。ビターな香りが、鼻腔をくすぐる。 「バレンタインデー生まれか。昔はハイカラだなんて言われたが、今はもう、チョコレートの味すら変わってしまったな」

shimoは、その深く刻まれた皺の奥にある瞳を閉じる。 瞼の裏に広がるのは、セピアから極彩色、そして高精細なデジタル映像へと変遷した、激動の日本の記憶だ。これは一人の男が見つめた、一世紀にわたるドキュメンタリーである。


第1章:大正の残照と昭和の鉄靴(1926-1945)

1-1. モダニズムの産声と「円本」ブーム

shimoが生まれた1926年(大正15年)2月14日、日本は「大正デモクラシー」の爛熟期にあった。 銀座にはモダンボーイ(モボ)とモダンガール(モガ)が闊歩し、カフェーからはジャズが漏れ聞こえる。父は丸の内の商社に勤めるサラリーマン、母はキリスト教系の女学校出身という、当時としては恵まれた「中産階級」の家庭だった。

「円本」ブームで家には文学全集が並び、幼いshimoは文字の海に溺れた。 しかし、その年の12月25日、大正天皇が崩御。元号は「昭和」と改まる。 「光文」という元号の誤報騒動があったことを、父が苦笑いしながら話していたのを微かに覚えている。それが、shimoの最初の記憶だ。

1-2. 恐慌、そして「非常時」の空気

1929年の世界恐慌の波は、少し遅れてshimoの家庭も直撃した。 昭和恐慌。東北の飢饉、娘の身売り。新聞の見出しが日に日に黒く、太くなっていく。 1932年(昭和7年)、血盟団事件、五・一五事件。犬養毅首相が暗殺されたニュースは、ラジオを通じて流れた。子供心にも「言葉」が通じない時代の到来を感じた。

そして1936年(昭和11年)2月26日。 10歳のshimoは、東京が異常な静寂に包まれた雪の朝を記憶している。 2.26事件。戒厳令下の東京。「兵に告ぐ」というラジオのアナウンス。 近所の大人たちが「アカ」や「特高」という言葉を囁く時、その目は怯えていた。学校では「欲しがりません勝つまでは」という標語が張り出され、野球のストライク・ボールは「よし」「だめ」と言い換えられた。 ベーブ・ルースが来日し熱狂した記憶は、いつの間にか「敵性スポーツ」として封印されていった。

1-3. 灰色の青春と、真紅の炎

1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦。 中学(旧制)に通うshimoの青春は、教練と勤労動員に塗り潰された。 淡い恋心を抱いていた隣家の少女は、挺身隊として工場へ行き、shimo自身もペンを捨て、旋盤に向かった。 「贅沢は敵だ」 その言葉が、色彩を奪った。映画も音楽も、国策に沿うものしか許されない。

1945年(昭和20年)3月10日、東京大空襲。 B29の編隊が落とす焼夷弾は、まるで花火のように美しく、そして残酷だった。 炎に巻かれる下町。逃げ惑う人々。熱風。 川の水面が死体で埋め尽くされる光景を、shimoはただ茫然と見つめていた。 「人間が燃える臭いというのは、百年経っても鼻から消えないものだ」 19歳の夏、玉音放送を聞いた時、涙は出なかった。ただ、圧倒的な虚脱感と、空の青さだけがあった。


第2章:瓦礫からの狂騒と高度成長(1946-1970)

2-1. ギブ・ミー・チョコレートと民主主義

戦後の焦土。闇市の猥雑なエネルギー。 shimoは大学に復学しつつ、闇市でアメリカの缶詰を売って食いつないだ。 進駐軍のジープに群がる子供たちが叫ぶ「ギブ・ミー・チョコレート」。 バレンタインデー生まれのshimoにとって、そのチョコレートの甘さは、屈辱と憧れが混ざり合った複雑な味だった。

1946年、日本国憲法公布。 1949年、湯川秀樹がノーベル賞を受賞。 打ちひしがれた日本人の心に、科学と文化の光が差し込む。 笠置シヅ子の『東京ブギウギ』が街に響き、美空ひばりという天才少女が現れる。 shimoは出版社に就職した。インクの匂いがする活版印刷の現場で、新しい「言葉」を紡ぐことに情熱を注いだ。

2-2. 「もはや戦後ではない」

1950年代、朝鮮戦争特需を経て、日本経済は垂直に立ち上がる。 1956年の経済白書は「もはや戦後ではない」と宣言した。 shimoの生活も変わった。アパートには「三種の神器」(白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫)が揃い始めた。 街頭テレビに黒山の人だかりができ、力道山の空手チョップに熱狂する。 「一億総白痴化」と大宅壮一が嘆いたが、shimoはテレビという箱の中に、豊かな未来を見ていた。

1959年、皇太子ご成婚。ミッチー・ブーム。 カラーテレビが普及し始め、世界は再び色を取り戻した。

2-3. オリンピックと新幹線、そして学生運動

1964年(昭和39年)、東京オリンピック。 shimoは38歳、編集長代理として激務の日々を送っていた。 開会式のブルーインパルスが描く五輪のマーク。その下を、開業したばかりの東海道新幹線が滑るように走る。 「日本は一流国になった」 誰もがそう信じた。首都高速道路が日本橋の上を覆い尽くしても、それを「発展」と呼んで疑わなかった。

しかし、光が強ければ影も濃くなる。 1960年代後半、大学紛争が激化。 ヘルメットを被り、ゲバ棒を持った学生たちが、東大安田講堂を占拠する。 新宿フォークゲリラ、フーテン族。 「おじさんたちの作った社会は欺瞞だ」と若者に詰め寄られ、shimoは言葉に詰まった。自分たちが必死に築いた平和と繁栄は、彼らにとっては「管理社会」でしかなかったのか。 1970年、三島由紀夫の割腹自殺。 大阪万博で「太陽の塔」が未来を指し示す一方で、昭和という時代の精神的な支柱が、音を立てて崩れた気がした。


第3章:豊かさの極北とバブルの幻影(1971-1989)

3-1. オイルショックと「一億総中流」

1973年、オイルショック。 トイレットペーパーを求めてスーパーに並ぶ主婦たちの姿に、shimoは戦後の買い出しを重ね合わせた。 「資源のない国」の脆さを露呈しながらも、日本は省エネ技術と勤勉さでこの危機を乗り越える。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」。 エズラ・ヴォーゲルの著書がベストセラーになり、日本型経営が世界で称賛された。 ウォークマン(1979年発売)を腰につけた若者が街を歩き、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)が世界を席巻する。 shimoの家庭も、マイホーム、マイカーを手に入れ、絵に描いたような「中流家庭」を築いていた。 娘はピンク・レディーの振付を真似し、息子はインベーダーゲームに100円玉を積み上げる。 平和だった。しかし、どこか空虚な予兆もあった。

3-2. 狂乱のバブル経済

1985年、プラザ合意。円高不況を懸念した金融緩和が、怪物を生み出した。 バブル経済の到来である。 shimoは60代を迎え、定年退職と再雇用を経験していたが、世の中の金銭感覚は常軌を逸していた。 地上げ屋が横行し、土地の値段だけでアメリカ全土が買えると豪語された。 ディスコ「ジュリアナ東京」のお立ち台、タクシーを止めるために振られる万札。 クリスマスやバレンタインデーは、恋人たちが高級ホテルとブランド品を競い合う「儀式」と化した。

「これは、何かがおかしい」 shimoは冷めた目で見ていた。 1989年(昭和64年)1月7日、昭和天皇崩御。 自粛ムードの中で、元号は「平成」へと変わる。 それは、宴の終わりと、長い二日酔いの始まりの合図だった。


第4章:失われた時を求めて —— 平成の迷走(1990-2019)

4-1. 崩壊とオウム、そして大震災

1990年代初頭、バブル崩壊。 株価は暴落し、銀行が次々と破綻する。山一證券の社長が「社員は悪くありません」と泣き崩れる姿は、終身雇用神話の終焉を告げた。

1995年(平成7年)、shimoにとって忘れられない年となる。 1月17日、阪神・淡路大震災。高速道路が倒壊した映像は、高度経済成長の墓標のように見えた。 3月20日、地下鉄サリン事件。 「安全な日本」という神話が崩れ去った。オウム真理教というカルトの闇は、物質的な豊かさの裏で、人々の心がどれほど渇いていたかを浮き彫りにした。

若者たちは「コギャル」化し、ルーズソックスを履き、PHSやポケベルで繋がりを求めた。 『エヴァンゲリオン』が描く閉塞感は、まさに時代の空気そのものだった。

4-2. デジタルの波と2002年の熱狂

Windows 95の発売以降、インターネットが急速に普及した。 shimoも70代にしてパソコン教室に通い始めた。「検索」すれば世界中の情報が手に入る。その万能感に酔いしれた。 2002年、日韓ワールドカップ。 中田英寿やベッカムに熱狂する日本。小泉純一郎首相の劇場型政治。 拉致被害者の帰国という衝撃的なニュースもあり、日本は「戦後」の総決算を迫られていた。

しかし、経済はデフレの泥沼から抜け出せない。「失われた20年」が「30年」へと延びていく。 非正規雇用が増大し、ネットカフェ難民という言葉が生まれる。 shimoの孫たちも、就職氷河期に苦しんでいた。

4-3. 3.11 —— 価値観の転換点

2011年(平成23年)3月11日。 東日本大震災。巨大津波と、福島第一原発の事故。 85歳になったshimoは、テレビの前で言葉を失った。 「原子力という科学の火を、人間は制御しきれなかったのか」 計画停電の薄暗い東京で、shimoは再び「戦時中」のような不自由さを感じた。 しかし、SNSで拡散される支援の輪や、「絆」という言葉に、新しい希望も見た。 人々は、モノの豊かさよりも、繋がりの温かさを求め始めた。

スマートフォンの普及が決定的となり、誰もが掌の上の画面を見つめる時代。 AKB48が歌い、嵐が国民的スターとなり、安室奈美恵が引退する。 平成という時代は、災害に打ちのめされながらも、優しさを模索し続けた時代としてshimoの目に映った。


第5章:老境の未来観測 —— 令和の地平(2019-2026)

5-1. パンデミックと静寂

2019年、令和へ改元。 その直後、世界はCOVID-19という疫病に覆われた。 マスク姿の人々、ロックダウン、リモートワーク。 90代半ばのshimoにとって、外出を禁じられる日々は孤独だったが、Zoomを通じて曾孫と話す時間は、新たな喜びとなった。 2021年、一年遅れの東京オリンピック。 無観客のスタジアム。1964年の熱狂を知るshimoには寂しすぎたが、それでもアスリートの姿は美しかった。

5-2. AI、戦争、そして100歳へ

ウクライナ侵攻、中東情勢の悪化。 21世紀になっても戦争はなくならず、むしろドローンやAI兵器によって、死はより無機質なものになった。 円安、物価高。日本は「安い国」と呼ばれるようになった。 しかし、街には外国人観光客が溢れ、日本のアニメや和食が世界中で愛されている。

そして2026年。 生成AIは人間の知性を超える勢いで進化し、shimoの介護プランもAIが作成している。 自動運転バスが街を走り、空飛ぶクルマの実用化も目前だ。

5-3. 結び:バレンタインの空

shimoは、曾孫からのチョコレートをひとかけら口に含んだ。 カカオの苦味と、洗練された甘さ。 100年前、大正の空気を吸い、昭和の泥を這い、平成の淀みを泳ぎ、令和の風に吹かれている。

政治家の顔ぶれは小粒になったかもしれない。 経済の数字は右肩上がりではないかもしれない。 しかし、shimoは思う。 「今の若者たちは、私が若かった頃よりもずっと賢く、そして優しい」

昭和の男たちが怒鳴り散らしながら作ってきた社会を、平成の子供たちが傷つきながら見つめ直し、令和の若者たちが静かに整えようとしている。 多様性(ダイバーシティ)。SDGs。 shimoが子供の頃には想像もしなかった概念が、当たり前の倫理として根付いている。

「悪くない。……悪くない100年だった」

shimoは、窓の外の青空を見上げる。 そこには、B29も飛んでいない。ただ、平和な雲が流れているだけだ。 彼はキーボードにゆっくりと手を置き、自身のブログの最後にこう記した。

「歴史とは、誰かの悲鳴と、誰かの歓喜の総和である。そして私は今日、その全てを愛おしく思う。Happy Valentine. 世界へ」

(了)