上皇后陛下91歳に学ぶ『南山之寿』(なんざんのじゅ)

『南山之寿』(なんざんのじゅ)

人の長寿を祝う意味の四字熟語。

「南山」は中国の長安(現在の西安)にある終南山という山のことで、長寿や堅固の象徴とされていることから。終南山が崩れることがないのと同じように、いつまでも健康で長生きすることを願う言葉。

『詩経』天保(てんぽう)編の句に基づいている。

上皇后陛下が10月20日で91歳をお迎えになった。

1934年のお生まれということ。ちなみに、上皇陛下は1933年のお生まれで、現在91歳で12月23日に92歳になられる。

1934年には何があったかを簡単に調べてみると、
・満州国が帝国として成立し、溥儀が皇帝に即位した
・瀬戸内海が国立公園に指定
・関東大震災で焼失した湯島聖堂が再建され竣工
・「開襟シャツ」や「国防色」といった言葉が流行
・第2回FIFAワールドカップがイタリアで開催

もっともっと様々な歴史が動いていたと思うが、ざっとこんなことがあったのが1934年ということだ。

上皇后陛下は昨年の10月6日に東京都港区の赤坂御用地にあるお住まいの仙洞御所で転倒し、10月7日の診察で右大腿骨上部の骨折と診断されていた。それから一年が経過して怪我の回復は順調ということで何より。

お誕生日当日には天皇皇后両陛下と長女愛子さまも上皇后陛下へお祝いのご挨拶に出向かわれたということで、いろいろなお話も弾まれたことと拝察する。

長生きや長寿はおめでたいことであるので、皇室に限らず自分の家族や身近な人たちの長生きを願う気持ちを『南山之寿』(なんざんのじゅ)という言葉に学びたい。

日本で言えば富士山のように高い次元まで崩れることなく過ごすことができるように、何よりも日々の健康に気を付けて今日も頑張ろう!

『南山之寿』(なんざんのじゅ)

大相撲ロンドン公演大盛況に学ぶ『和衷協同』(わちゅうきょうどう)

『和衷協同』(わちゅうきょうどう)

心を一つにして力を合わせて物事を進めることを意味する四字熟語。個人の心を和らげて、共に協力して物事に取り組む様子を表す言葉。

和衷とは、 「衷」は「まごころ」や「中心」を意味していて、「和衷」は「心を底から和らげること」や「心を合わせること」を指す言葉になる。

協同とは、共に力を合わせて物事を行うこと。

2025年10月15日から10月19日の間、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールにおいて大相撲ロンドン公演が開催された。

大相撲のロンドン公演は、1991年以来34年ぶりの開催だったそうだ。

この期間中、日本ではプロ野球のセ・リーグ、パ・リーグともにクライマックスシーズンだったことやアメリカメジャーリーグの大谷翔平選手の活躍がすごすぎたので、大相撲ロンドン公演がメディアで取り上げられる機会は少なかった。

しかし、今はSNSやYouTubeにおいて情報が配信される時代なので、ロンドン公演場所取り組みの様子や力士たちがロンドン観光している様子などの要所要所を見ることができた。

取り組み自体はあくまでも巡業の一環であり、海外遠征でもあるので少しショーの要素を感じるところもあるが、それでも力士たちの取り組みを初めて見たロンドンの方々には新鮮に映ったことだろう。

そして、日本にいても普段は見ることができない力士たちの自然な会話や笑顔はロンドン観光という機会があってこそのことだと感じた。

しかし、土俵はもちろんのこと、様々な大相撲の要素をロンドンまで運んで再現することやロンドン巡業という公演時代も、まさに『和衷協同』(わちゅうきょうどう)様々な方々の協力があってこその大盛況という結果だったのだろう。

力士だけでも親方衆だけでも成功するものではなく、呼び出しさんなども含めた裏方の人たち、日本とロンドンでバックアップする人たちなど多くの人たちが心を合わせて努力したに違いない。

それは、ロンドン公演に限らず、普段の大相撲の場所もプロ野球だってメジャーリーグだって、さらに言えばプロスポーツ興行以外にも私たち一般庶民の日常の仕事においても多くの人々の見えない協力があってこそ成り立つものだ。

それを忘れてはいけない。

成功することも失敗することも自分一人では如何ともし難い。それが社会であり世の中であり人生だ。

だから、「人を尊敬して、社会に感謝して、自分は必死に生きる」この心持ちを今日も忘れずに過ごそう。

『和衷協同』(わちゅうきょうどう)

神嘗祭(かんなめさい)に学ぶ『鼓腹撃壌』(こふくげきじょう)

『鼓腹撃壌』(こふくげきじょう)

世の中が太平でよく治まっている状態を指す四字熟語。

満腹で腹つづみを打ち、大地を足でたたいて拍子を取って踊る様子から来ており、古代中国の伝説上の聖天子である「堯(ぎょう)帝」の時代、人々が安楽に暮らしていたことを示す故事に由来する。

伝説では、堯帝が天下の治まり具合を確かめるために、こっそり街へ出かけるとある老人が満腹になって腹つづみを打ち、地面を踏み鳴らしながら歌っているのを見つける。

老人が歌っていた歌は、「日が昇れば働き、日が沈めば休む。井戸を掘って飲み、田を耕して食べる。帝(堯帝)の力など関係ない」という内容で、人々の満ち足りた生活を表していた。

その様子を見た堯帝は、自分の政治が正しく行われていることを確信し、喜んだという逸話。

そこから政治がうまく行われ、人々が平和で安楽に暮らしている状況を表現する際に使われる四字熟語となった。

今日は宮中祭祀の一つで、五穀豊穣の感謝祭で天皇がその年の新穂を天照大神に奉納する儀式が行われる神嘗祭(かんなめさい)。

伊勢神宮でも儀式が行われ、年間1500回に及ぶ伊勢神宮の恒例の祭りの中でも、神嘗祭は最も重要な祭りで、神宮の年間の祭典は神嘗祭を中心に行われているとも言われる。

天皇陛下が行う宮中祭祀は、五穀豊穣と国民の安全、さらに『鼓腹撃壌』(こふくげきじょう)な世の中を願う儀式であろう。

私たちが知らないところで天皇陛下の祈りの儀式は行われている。

それでも災害が絶えないのが現状ではあるが、国民の安心安全、実り豊かな自然を願う天皇陛下の立場からすると、世の中の災害や事件・事故にはさぞ心を痛めることだろう。

私たちも大人になったら、天皇陛下の存在意義を少しでも理解して過ごしたいものである。

『鼓腹撃壌』(こふくげきじょう)

ダイアン・キートン訃報に学ぶ『余韻嫋嫋』(よいんじょうじょう)

『余韻嫋嫋』(よいんじょうじょう)

心地よい音や詩文が、鳴りやんでも細く長く響き続ける様子を指す四字熟語。心に残る出来事の印象や、詩文などがもたらす風情や余情が長く残ることをたとえる言葉。

「余韻」とは、音が鳴りやんだ後に残る響きや、物事が終わった後に残る味わいのこと。

「嫋嫋(じょうじょう)」とは、音が細く、長く、しなやかに響き続ける様子を表す言葉。

ハリウッド女優のダイアン・キートンさんがお亡くなりになった。79歳だったそうだ。

彼女の代表作といえば、あの「ゴッドファーザー」。アル・パチーノが演じるマイケルの同級生であり奥さん役だった。

現代では「ゴッドファーザー」のような長くて重い映画はあまり作られないような気がするが、初めて「ゴッドファーザー」を観たときは、その人間模様に圧倒されたことをよく覚えている。

「ゴッドファーザー」第一作目の終盤、マイケルが二代目ゴッドファーザーとして徐々に変わっていく様に戸惑う場面、ダイアン・キートンの演技力が非常に印象的だった。

今思い出しても彼女も含めた「ゴッドファーザー」という作品に対して『余韻嫋嫋』(よいんじょうじょう)という言葉に表される感動が続いている。

思えば、人間にはいろいろな環境で育ってきたキャラクターがあり、立場によって人間は違いが出るし変わってもいく。利害関係もあるし、その軋轢から争いになることもある。

そんなことを教えてくれたのが「ゴッドファーザー」という作品だった。

日本にも「極道」という少し似たような組織もあっただろうし、昔はそのような人が神社のお祭りや縁日の出店を仕切っていた時代もあったと聞く。

政治でもリーダーが必要だし、裏社会というか日の当たり難い社会にもやはり仕切り役がいなければ荒れ放題ということになる。

それが人間社会ということだと「ゴッドファーザー」に教えてもらった感覚が自分の中では『余韻嫋嫋』(よいんじょうじょう)に続いている。

ダイアン・キートンさんのご冥福をお祈り申し上げます。

サッカー日本がブラジルに初勝利に学ぶ『射石飲羽』(しゃせきいんう)

『射石飲羽』(しゃせきいんう)

精神を集中して必死の思いで事に臨めば、どんな困難なことでも成し遂げることができることを意味する四字熟語。

「射石」は弓を石に射ること。「飲羽」は矢の羽まで深く突き刺さること。集中して力いっぱい弓を射れば、石も貫き羽まで深く突き刺すことができるという意味。

昨日、味の素スタジアムでサッカーの国際親善試合として日本対ブラジル戦が行われ、日本がブラジルに対して14回目の挑戦で初白星を挙げた。

この試合では最初ブラジルに2点リードされたものの、ブラジルを上回る運動量とチームワークで見事に逆転で初勝利をおさめた。

熱心に応援する観客が多いホームでの開催ということも後押ししたことだろう。

個人的には全くサッカーに詳しくないが、来年開催されるワールドカップに向けて良い弾みになってくれると良いと感じる。

スポーツには団体競技と個人競技があるし、野球・サッカーを始めとする球技、柔道などの武道や格闘技、体操などの種目に分かれるが、やはり団体競技は出場選手が多いので自分の推しを応援するファンも多くなる。

さらにサッカーは熱心なファンが多いことから昨日もたくさんのファンが日本代表選手の活躍を期待して、選手もそれに応えようと集中して全力にプレーしたことが、まさに『射石飲羽』(しゃせきいんう)としてブラジルという石のような強豪チームの奥深くまで矢が突き刺さった。

今現在行われているアメリカメジャーリーグのリーグ優勝決定戦や日本のプロ野球クライマックスシリーズでも『射石飲羽』(しゃせきいんう)のような集中力の高いプレーを期待したい。

セ・リーグは阪神タイガース対横浜ベイスターズ、パ・リーグは福岡ソフトバンクホークス対日本ハムファイターズの対戦が今日から始まる。

『射石飲羽』(しゃせきいんう)

大阪・関西万博閉幕に学ぶ『雲翻雨覆』(うんぽんうふく)

『雲翻雨覆』(うんぽんうふく)

世間の人の態度や人情が、変わりやすいことのたとえ。人の心や態度が変わりやすいこと、または様々な手段を巧みに弄することを指す故事成語。

手のひらを上に向ければ雲、下に向ければ雨になるように、物事がくるくると変わる様子を唐の詩人「杜甫」が人間の軽薄さとして嘆いた詩が『雲翻雨覆』の由来元。

大阪・関西万博が10月13日に閉幕した。自分自身は結局最後まで訪れる機会はなかった。

新聞各紙やテレビなどのオールドメディアもSNSも閉幕を惜しむ人の声で溢れている。

今回の万博は海外の158の国や地域から出店があったそうだ。来場者数は2500万人を超えて、運営費の収支については230億~280億円の黒字となる見込みと発表されている。

個人的には現地を訪れずに大会やパビリオンの様子は判らないものの、大阪・関西万博に関するオールドメディアの報じ方には違和感が残る。

開催前にはあれだけネガティブな報道が多かったことを覚えている人も多いことだろう。

前売りチケットの売れ行き不振、大会は赤字の見込み、海外パビリオン工事の遅れ、海外パビリオン工事費の未納問題などなどが大きく何度も扱われ、万博への期待が棄損された気もしていた。

それが、開催後に来場者の多くがSNSで肯定的に発信するや否やオールドメディア全体もそれの空気に追随。

終いには、今朝の新聞に『ありがとう夢の祭典』の見出し。

手のひらを上に向ければ雲、下に向ければ雨というように扱い方次第で人の心を操れるかのようなメディアの傲慢を感じる気もする。

それと同時に、我々情報の受け取り手もメディアの報じるニュースによって、世間の人の態度や人情が変わりやすいことを証明してしまっている。

私たちはメディアが報じる断片的な情報だけで、いろいろなことを肯定的や否定的に判断しようとしてしまう習性がある。

それを自分で理解した上で様々な情報に接する習慣を身に付けたい。

『雲翻雨覆』(うんぽんうふく)