七月最終日に学ぶことわざ「月日に関守なし」

「月日に関守なし」(つきひにせきもりなし)

このことわざは、月日が経つのは非常に早いことの例え。「光陰矢の如し」とか「歳月人を待たず」と同じ類のことわざ。

月日という動きを取り締まれる者はいないということだろう。

今日で2025年の7月も最終日。明日からは8月で子供たちの夏休みも本格的になる一方、暑さもピークの時期だしこの週末は台風も関東に近づく恐れがある。

昨日のカムチャッカ半島近くの大地震といい週末の台風といい、昨日は兵庫県の丹後で観測史上で最も暑い42.1度が記録されるとか、もう自然の摂理には人間は太刀打ちできない。

この暑さも台風もその時期が去ってくれるのを静かに待つしかない。

とはいえ、暑さも台風も事前に準備できることはあるし、地震は備えられなくても災害への対策を行うことはできる。

ただ座して待つのではなく、自分にできる準備を行っておくことが大切。その対策や準備を上回るような想定外のことが起きてしまった場合は仕方ない。

月日が経つのは誰にも止められない。だけど、その日その日をできる限り充実させて過ごすように心がけることはできる。

いたずらに時間を過ごしてしまうのではなく、何歳になっても自分にできることで無理なく何かに挑戦したり活動したりすることはできるはず。

自分自身も「尊敬・感謝・必死」を大切に、周囲の人を尊敬して、社会に感謝して、自分は必死に生きる。

「月日に関守なし」をネガティブな感覚の言葉としてとらえずに、月日が経つのは早いから日々を「尊敬・感謝・必死」に生きることが大切というポジティブな感覚でとらえたい。

「月日に関守なし」

2025年7月30日津波警報に学ぶ四字熟語「長汀曲浦」

「長汀曲浦」(ちょうていきょくほ)

「汀」は渚や水際など陸と水が接するところや波打ち際を意味する。「浦」は浜辺や湾など長く続く水際と曲がりくねるような湾のことを指して、海岸線や海辺が延々と続いていることを表す四字熟語。

先ほど、カムチャッカ半島で起きた地震による影響で日本列島太平洋側で広く津波警報が発令された。

最初はマグネチュード8ぐらいと推定され津波注意報だったが、マグネチュード8.7と修正されたために注意報から警報へと警戒から即非難へと体制が変更になった。

日本は島国で「長汀曲浦」なので、警報も北海道から和歌山辺りまでが警報の対象地域となっている。

「長汀曲浦」という言葉の意味からは何となく風光明媚的な感覚も漂うが、まさに島国の日本は海に囲まれているため津波が起こる可能性が高まると警戒しなければならないエリアも広くなる。

現在は、JRの東海道線や江ノ電なども一時運休となった模様だ。

とにかく、まずは震源地近い地域に住む方々の被害がないことを祈るとともに、津波の被害も警戒を超えないことを祈る。

そして、このような機会にしっかりと警戒や避難を行うという習慣を身に付けるためにも対象の地域では甘くみずに行動を起こして欲しい。

ただ、この夏休みの時期に海や川にレジャーに行っている方も多いだろうから、混乱などが起こらないよう各自治体には広く広報や注意の呼び掛けに努めてもらいたいものだ。

自分がいる場所が揺れなければこのような警報を受信するのは難しいかもしれないが、我々が住む日本という島国の宿命と考えて、このようなケースも自分の経験値の一つに積み重ねていきたい。

注意と警戒を怠らない「長汀曲浦」の国にしよう!

イチローさん米国野球殿堂入りに学ぶことわざ「玉磨かざれば光なし」

「玉磨かざれば光なし」

どんなに立派な玉(宝石)でも、原石のままでは光らない。そこから転じて、どんなに優れた素質や才能があっても努力して修養して磨かなければ、立派な成績や結果を出すことはできないということ。

今回日本字として初めて米国の野球殿堂入りを果たしたイチローさんが努力の人ということは知れ渡っている。

試合がある日は、朝目が覚めたときから朝食、球場入り、ウォーミングアップ、打席に入るとき、守備につくとき、何から何まで自分なりのルーティンがあったそうだ。

それを頑なに守ることによって、自分の体調のちょっとした変化なども気付いて修正した。

それは何よりも試合で結果を出すため、観客にその日の最高のプレーを見せるために自分に課す自分なりの課題ということだ。

もちろん、プロに入る以前からも練習の虫であり、日本のプロ野球に入ったときからも試合後も暴飲暴食せずにクールダウンや筋力トレーニングに励んでいたと聞く。

それだけやっても十分ということはなく、完璧ということもない。

結果が出るときもあれば、結果が出なかったりミスが出るときもある。それを積み重ねて経験値を上げていくのがプロであり大人ということなのだろう。

そんなイチローさんという人に憧れる人は多いと思うが、漠然と憧れるだけでは自分の身につかない。

我々はイチローさんのような宝石の原石でもないし、磨いてもイチローさんのように光るわけでもない。

でもイチローさんのようなお手本から何を学びどんな行動にするのか。頭で考えることが大切だけど、考えるだけでなく実際に行動に移し、それを継続しながら改善していくことが大切だ。

自分なりの光が出せるように今日も頑張ろう!

「玉磨かざれば光なし」

2025年名古屋場所琴勝峰優勝に学ぶ四字熟語「外柔内剛」

「外柔内剛」(がいじゅうないごう)

外見はもの柔らかでもない面はしっかりしていて意思が強いこと。態度は穏やかでも芯が強いこと。

2025年の今年も暑くて熱い名古屋場所の15日間が終わった。

個人的に応援している一山本が途中まで無敗で先頭を切っていたが、終わってみれば9勝と残念ながら二桁には届かなかったのが残念。

優勝争いは、琴勝峰と安青錦に新入幕の草野が追いかける展開。

千秋楽の最終日に琴勝峰と安青錦が直接対決をし、見事に琴勝峰が勝って優勝を手にした。

まさに見た目は優しい感じで穏やかそうだが、最後の最後まで集中力を切らさない点は「外柔内剛」と言えるだろう。

本当に心も体も芯が強いがために手にすることができた優勝だ。

番付は前頭15枚目とのことだが、これまでも新入幕の尊富士が優勝したこともあるし、誰が優勝するかは本当に紙一重の厳しい世界。

今場所から横綱となった大の里も金星を4つ供給したし、豊昇龍も途中休場となるくらい、本当に横綱・大関でも勝を維持するのは難しい。

だから、ある意味番付が下の方が伸び伸びと相撲を取ることができるともいえるし、一回優勝してもまた番付が上がる中で体調や成績を維持するのは厳しくなる。

だから、常に「外柔内剛」で、心と体は柔らかく穏やかにして、何か一本自分の中での強い芯を持ち事が大切だろう。

付け加えれば、十両では先場所に新十両に上がった三田が十両優勝を収めた。三田も「外柔内剛」の心意気で次の九月場所以降も頑張ってもらいたい。

ゲオHDがセカンドリテイリングへ社名変更に学ぶことわざ「西施の顰に倣う」

「西施の顰に倣う」(せいしのひそみにならう)

このことわざは、物事の善し悪しを考えずに、ただやみくもに人の真似をすること戒める意味がある。

由来は、中国春秋時代の美女、西施が胸の病で顔をしかめている姿が美しいと評判になり、それを醜い女が真似をしたという話から来ていて、他人の真似をすることの愚かさ、物事の本質を理解せずに表面だけを真似ることの危険性を教えてくれる。

ゲオと言えば、個人的にはレンタルビデオ店を想像するけど、今現在はセカンドストリートという古着なども含めた中古品のリユースなどの事業がかなり伸びているそうだ。

そこからのセカンドリテイリングなのだと思うが、もちろんユニクロのファーストリテイリングにあやかる意味も大きくあるだろう。

ユニクロがファーストなら我々はセカンドだと、世の中への宣言とも受け取れる。

それは良い相乗効果を生むと思うし、真似ることは成功への近道ともいえる。

ただし、生半可に表面だけを真似をしているだけだと「西施の顰に倣う」になってしまう。

ゲオHDという企業だから「西施の顰に倣う」ということわざも知っているだろうし、闇雲に社名をあやかるだけではなく少しでも企業として近づくべく、ユニクロやファーストリテイリングへのリスペクトを持って事業を飛躍させていくだろう。

そんなゲオHDのアイディアと挑戦に敬意を表したい。自分も自分なりの環境の中で優れた人には敬意を持って真似ていこう!

「西施の顰に倣う」

日米関税交渉合意に学ぶことわざ「死中に活を求める」

「死中に活を求める」

このことわざの意味は、助かる見込みのない絶望的な状況でも、なお助かる道を探すこと。難局を打開するために危険な状況に立ち向かっていくこと。

数か月前から交渉が続いていた日米関税交渉が一定の合意に達したらしい。

25%の関税という日本経済にとって絶望的ともいえる高い関税が8月1日にも発効する直前になって、とりあえずは15%という関税率で交渉がまとまったということだ。

この数字がもたらす影響がどれほどなのか、私たち庶民には体感できない。25%よりはマシだけどくらいの認識だ。

それにしても、新聞各社の論調などを見ると、元々はトランプ大統領の言いがかりとも言えるような関税の押し付けから事は始まっている。

それに各国は対応するしかないという一方的な力技の押し付けは、アメリカという超大国が行うことなのだろうか?

もちろん、私たちには知らされることのない高度な政治的判断などがいくつも折り重なっての交渉なのだろう。

だから、我々一般庶民に「関税交渉が15%で合意」などとだけ報じられても、「ふーん、それはお疲れ様でした」くらいの感想にしかならない。

先日の参院選の結果を受けての国内政治の混乱、消費税、社会保障、少子化高齢化、外国人問題、記録的な猛暑酷暑、様々な国内問題が乱立する中でも答えを出すことができない政治に我々国民は失望するばかり。

政治や行政に甘えることなく、自分で自分の生活を守ることで必死になる。それはそれで、我々一般庶民が「死中に活を求める」ということだろう。

みんな誰しも自分の人生にはそれぞれなりの課題がある。それは果てしなく難しい課題で、その課題が解消することはいつまでもないけれど、難局を打開するために危険な状況に立ち向かっていこう!

「死中に活を求める」