今日のことわざ「お祈りは唱えても、櫂の手は休めるな」

「お祈りは唱えても、櫂の手は休めるな」

「櫂」とは船を漕ぐときに使うオールのこと。

神だのみだけではなく自分自身も行動して汗をかかなければならないというロシアのことわざ。

船が沖に流されてしまったときに神にお祈りしても助かるわけではなく、お祈りすると同時に自分自身も岸に向かって船を漕がなければ溺れてしまう。

ロシア人は信仰に篤いらしいが、結局最後は自分しか頼れないということや自己責任という冷静な面もあるらしい。

私たち日本にも「困ったときの神だのみ」ということわざがあるが、やはり神様にお祈りしているだけで事態が勝手に好転するようなことはない。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉のように、自分にできることはやり尽くした上で結果は神様次第という心持ちが大切なのだと思う。

それでも世の中は自分の努力だけでどうにかなることばかりではないため、神様に祈りたくなる気持ちも解る。

努力すれば必ず良い結果が出るとも限らない。

時として結果は悲しいほど残酷なこともある。

けれど、尽くした努力は決して裏切らない。そのときには良い結果に結びつかなくても必ず自分の経験値となって何かしらの結果に表れる。

「お祈りは唱えても、櫂の手は休めるな」

今日の四字熟語「相碁井目」

「相碁井目」(あいごせいもく)

何事においても実力には違いがあるということを囲碁に関する言葉で表す四字熟語。

「相碁」とは実力の差がない者同士で打つ碁のこと。「井目」とは弱い方が碁盤上にあらかじめ先に石を9個置いてから対戦すること。

どんなことでも実力を上げようとするならば、投下時間×集中力だと思う。

プロになるということや何か大きな大会で優勝するという高い目標を達成しようとするならば元々の才能が左右することがあるかもしれない。

ただ、それぞれの種目や競技を楽しめるレベルということであれば、ある程度の投下時間をかけて集中して練習や経験を積めば、必ず誰でもたどり着けると思う。

結局のところ、多くの人にとって難しいのが継続すること。続けることが難しい。

思うように上達しなかったり、他の人と自分を比べてしまってどうしても自分が見劣りするような感覚になってしまったりすると急にモチベーションも下がってしまったりする。

だから、大切なことは人と比べないこと。

比べるなら昨日の自分や先月、昨年の自分と比べることで、過去の自分と比べれば必ずどこかしらは進歩しているところが見つかるはず。

それが継続するコツだと思うし、その積み重ねがやがて「相碁井目」という言葉を実感できる日につながることだろう。

今日のことわざ「愛多ければ憎しみ至る」

「愛多ければ憎しみ至る」(あいおおければにくしみいたる)

人から愛を受けることが多ければ、その一方で必ず人から憎まれることも増える。特別な寵愛は身の破滅を招くことにもなりかねないから注意が必要という意味。

人は妬みや嫉みという本能を持つ。

隣りの田んぼは青く見えるし自分のことは過小評価する。

他人を羨ましく思うし嫉妬する。

そんな本能を持つ人間だから、自分にはないモノを持っている人に対しては時としてその人を憎むようにもなってしまう。

出る杭は打たれるという言葉にも通じる。

だから、賢い人は本当のことを言わない。本当にお金を持っている人はお金を持っているようなそぶりを見せない。お金を持っていない人は何とか自分を大きく見せようとブランド物に身を包む。

それを知っているから高級車やブランド物を持っている人を私は全然羨ましく思わない。

だって、私はお金では決して買えない宝物をたくさん持っているから高級品を持っている人に対して何の感情も湧いてこない。

愛多ければ憎しみ至る。

今日の四字熟語「合縁奇縁」

「合縁奇縁」とは、
人と人の交わりというものは、縁という不思議な力によるものであるということを意味する言葉。

だから自分の努力で良い縁を引き寄せられることもあるけど、自分の努力では如何ともしがたいこともある。

それもまた世の中である世の条理でもある。

幸運に恵まれることもあるし不運に見舞われることもある。

でもそのどちらもそのときで終わるものではなくいつでも途中経過だし、自分の受け止め方でその後にピンチをチャンスにひっくり返せることもある。

大切なことは、「他人を尊敬して、社会に感謝して、自分は必死に生きること」。その「尊敬・感謝・必死」が大切だし、それによって良縁を引き寄せられる可能性も生まれてくる。

合縁奇縁を大切にして、今日も誠実な気持ちで過ごす一日にしよう!

今日のことわざ「信じるのは良いことだ、信じないのはもっと良いことだ」

「信じるのは良いことだ、信じないのはもっと良いことだ」

これはイタリアのことわざ。

イタリアも長らく外国などの勢力の支配下で隷属を強いられた時期が続いた時代があり、税金などを搾り取られた経験から時の政権などが伝えることを単純に鵜呑みにしない国民性があるらしい。

これは私たち日本人も明治から昭和にかけての軍国主義への反省という意味で同じ感性があると思うが、政権などを疑うだけでなくメディアが発信することや人の噂などを単純に信じ込む人が少なくないのもまた人間の性なのだろうか。

間もなくやってくるが、今年の7月5日に大災害が起こるという噂があるらしいが、私はそれを直接見聞きしたことはない。

なぜかそのような情報を信じ込む人や拡散したがる人が少なくない。私にとってそのような話はノストラダムスの大予言や、2000年にコンピューターが一斉に誤動作するというような話だけで十分だ。そして、それらは何一つ現実に起こることはなかった。

信じるのは良いことだが、信じないことはもっと良いこと。これは本当に真理だろう。

 

今日のことわざ「ネコも心労には殺される」

「ネコも心労には殺される」

これはイギリスのことわざ。

ネコは不思議としぶとい生き物で、雨の中でも平気で外にいるし、高いところから落ちても柔軟に着地して怪我を免れたり、遠くまで行っても帰ってくる帰巣本能も優れている。

そんなネコでも心労には勝てず、何かストレスが原因で亡くなることもあるということから心労や心身への負担が健康の敵であるということを表すことわざだ。

私たち人間も然り。
ストレスには勝てないが、極力ストレスを感じないように心を安定させるように努めることはできる。

完全なストレスフリーを求めずに、ストレスと上手に付き合うことができるように自分の心の動きを少しでも客観的にみられるようになりたいものだ。