公明党連立離脱に学ぶ『上屋抽梯』(じょうおくちゅうてい)

『上屋抽梯』(じょうおくちゅうてい)

「屋根に上らせてから梯子を外す」という意味の四字熟語。

中国の兵法書『孫子』の「高きに登りてその梯を去るがごとし」という言葉に由来する「三十六計」の一つ。

高い場所に登らせた後にはしごを取り除いて孤立させること、また、先に立って事に当たっていた人が、協力者が手を引いて孤立させること。敵を誘い込み、援助や逃げ道を断った上で自滅させる策略。

敵対勢力を支援する一方、その支援を突然断つことで窮地に陥れる。その手法はまさに今回の公明党が取った手だ。

昨日の自民党公明党党首会談において、公明党の斉藤鉄夫代表が「政治とカネ」をめぐって自民党側から十分な回答がなかったとして、「連立政権をいったん白紙とする」として26年にわたる連立離脱を通告した。

自民党と公明党の連立関係は、1999年の橋本龍太郎政権時代から約四半世紀を超えたところでリセットされることになった。

この出来事をメディアやマスコミ、SNSでも様々な人がいろいろな面から分析や発言を行っている。

斉藤釟男代表は、今回の自民党総裁選で高市早苗氏以外が選出されたとしても連立関係は見直すことにしていたと言うが、そこは政治の世界で発言を額面通りに受け止めるわけにもいかない。

SNSでは、選挙で勝てないという理由で石破茂首相を降ろしながら、高市早苗総裁が選出されたら公明党と連立解消となり、もっと選挙に勝てなくなってしまったという皮肉も見られる。

現時点では、公明党の『上屋抽梯』(じょうおくちゅうてい)の策により高市早苗自民党総裁が四面楚歌になっているようにも見える。

現時点では、比較第一党という現状から高市早苗氏が首相になる可能性が最も高いとされるが、仮に高市首相が誕生しても今までよりもさらに少数与党という難しい政権運営が強いられる。

10月20日過ぎに召集とされる臨時国会と首相指名選挙ではどんな結果になるのか?

政治空白が続いてしまうことになるが、7月の参院選挙から今年末までの政治展開は歴史に残ることだろう。

『上屋抽梯』(じょうおくちゅうてい)

公明党連立離脱の可能性浮上に学ぶ『合従連衡』(がっしょうれんこう)

『合従連衡』(がっしょうれんこう)

その時々の利害や状況に応じて、国や組織、企業などが結びついたり離れたりすること。またはそうした駆け引き、外交や政治戦略を指す言葉。

中国の戦国時代に強国・秦に対抗して、他の国々が連携したり、秦の策略によって分断されたりした外交政策に由来している。

「合従」とは、縦に連なるという意味で、中国の戦国時代の南北に連なる東方六国(燕、趙、韓、魏、斉、楚)が同盟を組み、強国である秦に対抗した政策。

「連衡」とは、横に連ねるという意味で、秦が六国のそれぞれと個別に同盟を結び、協力関係を分断しようとした政策。

秦の張儀が提唱した方策で、これによって合従策は封じらたと言われている。

自民党と公明党の間で、女性初の総理大臣誕生に黄色信号が灯り始めた。

公明党が自民党の「政治とカネの問題」に関して、理解できる回答が得られない限り連立を離脱する可能性があるとのこと。

今日の午後にも高市自民党総裁と斉藤公明党代表と二回目の会談が行われて協議される模様だ。

政党政治は本当に難しい。

政治家として自分の信念がある反面、政治家同士の友人や恩の貸し借りもある。

政党としても理念もあれば、企業や支援団体からの利害関係もある。

自分の信念だけを押し通せないし、応援してくる仲間や組織、そして政党同士お互いの力関係も大きく影響する。

何といっても、政治や行政、国防や外交には、私たち一般庶民には計り知れない情報や問題、課題があるはずだから、目や耳にするメディアからの情報だけで「ああすればいい、こうすればいい」は全く通用しない。

現在も、自民党公明党の連立が怪しくなるや、その他の政党が協力しようとしたり、存在感を出そうと発言や発信をしたりと、まさに『合従連衡』(がっしょうれんこう)の様相を呈している。

女性初の自民党総裁はどうこの難局を乗り切るのか?

果たして本当に女性初の総理大臣は誕生するのか?

10年後20年後の日本を見据えて非常にタフで難解な時期を迎えている。

『合従連衡』(がっしょうれんこう)

2025年日本人二人目のノーベル賞北川進氏に学ぶ『多士済済』(たしせいせい)

『多士済済』(たしせいせい)

優れた人材が多く集まっていることを意味する四字熟語。

「多士」が「優秀な人材」を意味していて、「済済」が「多くそろってさかんな様子」を表している。

中国最古の詩集である『詩経』大雅・文王の章に、「済済(せいせい)たる多士、文王以(も)って寧(やす)んず」という一文に由来していて、「優秀な人材が多く集まったおかげで、文王は安心された」と書かれている。

2025年のノーベル化学賞が発表され、先日生理学・医学省を受賞が発表された坂口志文氏に続き、日本人としては今年二人目となる北川進京都大学特別教授が受賞することになった。

これは日本の科学分野に『多士済済』(たしせいせい)という言葉通りに優れた人材がたくさんいると感じさせてくれる。

北川進氏は「金属有機構造体(MOF)」呼ばれる物質についての研究成果を評価されたということらしい。

私たちには何のことやら理解が追い付かないが、大変な研究の成果なのだろう。

ノーベル生理学・医学賞の坂口志文氏の「制御性T細胞」も「金属有機構造体(MOF)」も私たちの将来の暮らしをさらに豊かなものにしてくれるように実用化されていくことを期待したい。

これからも優秀な科学者を『多士済済』(たしせいせい)にたくさん輩出するには、日本全体の学力向上が欠かせない。

どんなに優秀な人もその土台となる基礎学力や基礎学習があって初めて科学分野やその他の分野へ応用されていく。

日本全体の学力を向上させるために私たち大人には何ができるのか?

ノーベル賞とは無縁の私たちにも何かできることはあるはずだ。

『多士済済』(たしせいせい)

坂口志文氏ノーベル生理学・医学賞受賞に学ぶ『実事求是』(じつじきゅうぜ)

『実事求是』(じつじきゅうぜ)

事実に基づいて真理を探究するという意味の中国の言葉。中国清朝時代の考証学の学風や、理論と実践を統一する科学的な態度を示す標語で、事実を重んじ憶測や空疎な議論を排し、物事の本質を追求することを指している。

「実事」は実際の出来事、本当のこと、真実。「求是」は真理や正しいことを求めること。

「事を実にして、是を求める」と訓読みもする。

2025年のノーベル生理学・医学賞に日本人の坂口志文氏の共同受賞が発表された。

日本人としては誇らしく感じるが、受賞した研究の内容はとても素人には簡単に理解できない。

免疫反応を抑えるブレーキ役となる「制御性T細胞」の存在を発見したことで、アレルギー疾患や1型糖尿病などの自己免疫疾患、その他にもがんなどの病気の新しい治療法の開発に道を開いたことが評価されたということだ。

その過程において興味深いのが、研究当初は「制御性T細胞」の存在を疑う考え方も強くて、かなりの逆風を強いられた時期もあったそうだ。

それに負けずに根気よく研究を進めた結果1980年代に免疫の暴走を抑えるタイプの細胞の存在を示すことになり、1995年に「制御性T細胞」の発見者となった。

このような取り組み方やその姿勢が『実事求是』(じつじきゅうぜ)という四字熟語につながると感じる。

自分が考える免疫の暴走を抑えるタイプの細胞が存在するという興味・関心を長い期間かけて研究して証明する。まさに「事を実にして、是を求める」の体現である。

これがまた世の中に広まることにより、実際の病気治療に役立ったり、ノーベル賞受賞が一つの希望となって若い世代や子供たちに研究者が増えることになれば、様々な領域での貢献になる。

個人的にはノーベル賞が一つの権威化して、今やそれが研究の中身や成果よりも富や名声の源泉になっている面も否めなく感じるところもある。

ただ、それを差し引いてもプラスの側面が大きいこともまた現実だと思うので、ノーベル賞が廃れることはないだろう。

現時点では2025年のノーベル賞の発表はまだ続くので、他にも日本人の受賞可能性を楽しみにしたい。

『実事求是』(じつじきゅうぜ)

三重県軽自動車事故に学ぶ『可惜身命』(あたらしんみょう)

『可惜身命』(あたらしんみょう)

「惜しむべき身命」という意味で、若い命が失われたり、早くに亡くなったりすることを惜しむ気持ちを表す四字熟語。

古い言葉で「立派だ」「惜しい」という意味の「あたら」に、「可惜(あたら)」の漢字が当てられ、そこから「惜しむべき命」という意味で使われるようになった言葉といわれる。

「可惜」という言葉を始めて知った。

中国語的には「惜しい」「残念だ」という意味で使われる言葉で、日本語の「惜しい」や「もったいない」に相当するらしい。

日本にも古語として「可惜(あたら)」という言葉があり、「そのままにしておくのは惜しいほど素晴らしい」という意味と、「そのままにしておくのが惜しい(もったいない)」という2つの意味を表すそうだ。

そして「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という「身命を惜しまない」意味の四字熟語に対して「可惜身命(あたらしんみょう)」という言葉が対義語として生まれたということを学んだ。

それにしても、10代20代の男女5人が亡くなるという交通事故はとても悼ましい。これこそまさに『可惜身命』(あたらしんみょう)の心境だ。

若い命を失った方々のご冥福をお祈りしたいし、ご家族には心からお悔やみを申し上げたい。

個人的にも10代のころに、先輩が運転する車の後部座席に乗っていたとき、その車が首都高速のカーブを曲がり切れず外壁に衝突するという事故に遭った経験もあることと、昨日はちょうど安全運転管理者講習だったので、改めて車を運転する危険性と安全運転の大切さを学んだ。

車を運転するときは、まさか自分が大きな事故を起こすことになると思いながら運転する人はいない。

高速道路などが渋滞しているとき、事故に遭った車や故障した車を見ると「明日は我が身」かもしれないと思うようにしている。

それでも事故は起こるし車が故障することもある。

車の運転に対しても災害に対しても、いつでも万一の心構えを持ちながら生活に臨みたいと感じるのは歳を取ってきたからなのだろうか。

今回の大きな事故は、自分たちの車で自分たちが被害に遭ったわけだが、これがもしも自分の車で誰か他人を傷つけたり命を奪うことになったりしたらと考えると背筋が寒くなる。

事故や災害は常にすぐ隣に潜んでいる。

『可惜身命』(あたらしんみょう)の気持ちで若い人たちの命を悼むとともに、自分も事故や災害には万一の気持ちを持って備えたい。

10月3日アンパンマンの日に学ぶ『屋烏之愛』(おくうのあい)

『屋烏之愛』(おくうのあい)

人を深く愛するあまり、その人を取り巻くすべて、さらには屋根にとまっているカラスにまで愛情が及ぶ様子を表現。愛情が非常に深いこと、あるいは愛する人に関係するすべてを大切に思うことをたとえる故事成語。

今日はアンパンマンの日とされていて、1988年(昭和63年)10月3日に「それいけ!アンパンマン」が日本テレビ系列で放送を開始した日にちなんでということだそうだ。

自分の子供が幼かったころにはすっかりと人気者だったアンパンマン。元々は、「パン工場」に住むパン作りの名人・ジャムおじさが“心を持ったあんパン”を作りたいと思っていたが上手くいかずに困っていたところ、ある日の夜に流れ星がパン工場のパン焼き窯に降り注ぐ。この「いのちの星」があんパンに宿り、「アンパンマン」が誕生したらしいというストーリーらしい。

困っている人には自分の顔を食べさせるという無償の愛がアンパンマンの根底に流れているが、まさに『屋烏之愛』(おくうのあい)というほどの愛情を感じさせるキャラクターである。

この『屋烏之愛』(おくうのあい)という言葉は、中国前漢時代の説話集である『説苑』の「貴徳」篇に記されているということで、周の武王が殷の紂王を滅ぼした後、殷の人々をどうすればよいかを太公望に尋ねた際、太公は「人を愛する者はその人の屋根の鳥(烏)にまで愛がおよぶ。人を憎む者は、その人の使用人(余胥)まで憎む」と答えたことに由来する。

この「人を愛する者はその人の屋根の鳥(カラス)にまで愛がおよぶ。」ということが『屋烏之愛』(おくうのあい)に相当して、「人を憎む者は、その人の使用人(余胥)まで憎む」ということは「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ということに相当する。

今の現代社会では、誰も彼もが自分のことで精一杯で、自分の身内以外に無償の愛情を持って接するという奇特な人はほとんどいない。ボランティア精神だけでは、どんなに良い活動も長く継続させることができないのもまた事実。

ただし、身近に困っている人がいたら、ほんの少しでも手を差し伸べるという気持ちは忘れたくないものだ。

そんなことを思い起こさせてくれるのが、アンパンマンの日であり『屋烏之愛』(おくうのあい)という言葉なのだろう。