仲代達矢さん訃報に学ぶ『老驥伏櫪』(ろうきふくれき)

『老驥伏櫪』(ろうきふくれき)

老いた駿馬が、馬小屋に伏していても、なお千里を走る志を持っていること。転じて、老いてもなお盛んな志を持つことを意味する四字熟語。

「老驥」は老いた駿馬のこと。「櫪」はくぬぎの木。床下の横木に使うことから馬屋のことを指す熟語。

三国志の曹操の詩の一節で、若い頃に千里を駆けた駿馬が老いて馬屋に伏していても、千里を駆ける志を捨てないということを表している。

仲代達矢さんが92歳でお亡くなりになった。

個人的には、仲代さんが全盛期に出演された『影武者』や映画などは拝見したことがないが、時々出演された大河ドラマや映画『二百三高地』で演じた乃木希典のイメージが強い気がする。

そんな仲代達矢さんが生前に『どんどん若い役者を育てたい。そして、若くて才能がある役者に抜かれないためには、自分が若い人の100倍努力をしなければいけない』と話されているインタビューを観たことがある。

これぞまさに『老驥伏櫪』(ろうきふくれき)の心意気で、どんなに著名な役者も老いていくのは避けられないが、何歳になっても盛んな志を持って日々精進するという気持ちを持って若い人を育てるという言葉はなかなか言うことができない。

仲代達矢さんのような実績のある方がおっしゃるからなお説得力もある。

仕事やステージは違うけど、私たちも若い人を育てることが大切だし、いずれは若い人たちの世代が中心の世の中が来るし、そのときでもなお高い志を持って老いた世代が若い人に負けないように努力することが大切なのは、どんな分野においても共通する価値観だと思う。

仲代達矢さんが育てた役者さんやタレントさんたちも、これからきっと同じように『老驥伏櫪』(ろうきふくれき)の心意気で次の世代を育て、さらにその後進に負けないように努力して、どんどん良い舞台や映画を作られていくことだろう。

仲代達矢さんのご冥福をお祈り申し上げます。

立花孝志容疑者を逮捕に学ぶ『一水四見』(いっすいしけん)

『一水四見』(いっすいしけん)

同じ一つの「水」を見ても、立場や認識する主体が異なると、それぞれ全く違うものに見えるという仏教の教えを表す四字熟語。

具体的には、人間にとってはただの水だったり、天人には宝石(瑠璃)の池に見えたり、魚には住み家であったり、餓鬼には膿の池(または燃える炎)のように見えたり、同じ水でも四つの見え方があることを意味している。

世界は客観的な一つの現実ではなく、それぞれの人が持つ独自の経験や価値観、世界観によって認識される。

自分の見方が絶対ではないと理解することで、他者の意見や考え方を尊重し、対立を乗り越えるためのきっかけとなる。

だからこそ苦しい状況でも、見方を少し変えることで、新たな気づきや希望を見出すことができるようにもなることを学ぶことができる。

『NHKから国民を守る党』党首の立花孝志氏が名誉棄損の疑いで逮捕された。

名誉棄損容疑の対象は、 元兵庫県議・故人の竹内英明氏への情報発信ということだ。

自分も何かのSNSで見た記憶があるが、竹内氏に関する情報をある程度断定的に語っていたと思う。

立花氏は声量もあるし、独特の語り方で非常に説得力が高いと思う。そんな人が断定的に情報を発信すれば、容易にその内容を信じてしまう人も多いと思う。

そして、今回の逮捕に関する名誉棄損について、竹内元県議の奥さんが刑事告訴をしていたらしい。

これからまずは立花孝志氏が起訴されるのかどうかに焦点が集まっているが、警察も検察も起訴できるかどうか微妙な著名人を逮捕するリスクを熟知しているので、そうそう簡単に不起訴ということにはならないようにも思われる。

立花孝志氏が竹内氏を誹謗中傷し名誉棄損するに至った情報はどこから入手したのか、そこに真実相当性はあるのか。

故人である竹内氏への名誉棄損が成立するのか。

警察や検察は、逃亡も証拠隠滅も口裏合わせもその恐れがない対象をどうして逮捕したのか。

『一水四見』(いっすいしけん)のように、立花孝志氏が逮捕されるという一つの事象を見てもいろいろな見え方になるし、そもそも正義や真実というのはその人によって様々に様態を変えるので非常に難しい。

だから、この『一水四見』(いっすいしけん)という四字熟語の教えにあるように、「自分の見方が絶対ではないと理解することで、他者の意見や考え方を尊重し、対立を乗り越える」という考え方を取り入れることによって、人と人の軋轢のような感覚は軽減できるのではないだろうか。

ただ、人間は「自分だけは損をするのが嫌」という性質を持ち合わせているので、お釈迦様のような境地に達するのもまた難しいことなのだろう。

『一水四見』(いっすいしけん)

RIZIN大晦日シェイドゥラエフ対朝倉未来に学ぶ『乾坤一擲』(けんこんいってき)

『乾坤一擲』(けんこんいってき)

さいころを投げて、天が出るか地が出るかを賭けるような勝負をすること。自分の運命をかけるような大仕事、一か八かの大勝負。

語源は唐代の詩人韓愈(かんゆ)の「鴻溝(こうこう)を過ぐ」という詩からつくられたと言われている。

「竜疲れ虎困(くる)しみて川原(せんげん)を割(さ)き 億万の蒼生(そうせい)性命存す 誰か君主に勧めて馬首を回らし 真に一擲(いってき)を成して乾坤(けんこん)を賭けしむ」という一説で、竜と虎は項羽と劉邦を指すらしい。

「乾坤」は天地の意味で、「擲」とは賽(サイコロ)を投げることを意味していることから、天と地を分けるような結果を賭けてサイコロを投げることを表す四字熟語となっている。

2025年の大晦日にRIZINフェザー級王者のラジャブアリ・シェイドゥラエフに「路上の伝説朝倉未来」がタイトルを掛けて挑戦することが決まった。

対戦成績が15戦で無敗、さらにオールフィニッシュという完全王者に挑戦する朝倉未来は結果が天と地に分かれるような『乾坤一擲』(けんこんいってき)の大勝負に臨むことになる。

これまでもかなりの強豪に打ち勝ってきたラジャブアリ・シェイドゥラエフ選手は対戦相手探しに困るくらい強すぎる印象だ。

そこに10周年を迎え10回目の大晦日興業の大舞台で完全で絶対王者に挑戦するのは、日本選手団の中でも格が違う朝倉未来選手という構図になった。

朝倉未来選手にとっては非常にリスクの高い一戦になるが、勝てばもちろんだが負けても彼の評価が下がることはないだろう。

日本人選手の気持ちを背負い、RIZINファンの気持ちを背負い、10周年10回目の大晦日のメインイベントでジャブアリ・シェイドゥラエフ選手に挑めるのは朝倉未来選手以外は考えられない。

勝ち負けの世界ではあるが、榊原CEOがいつも口に出すように、やはり必要なのは「勝ちっぷりと負けっぷり」だろう。

勝っても負けても人の気持ちを震わせる戦いができる選手は決して多くない。

格闘技は厳しくて険しくて非情な世界だが、それだけに人は惹きつけられる世界でもある。

今年の大晦日、この二人以外にも多くの選手が全生命を込めた『乾坤一擲』(けんこんいってき)の大勝負に臨む。

全ての選手に最高のコンディションで臨んでもらうことを期待する。

ゴレンジャーシリーズ半世紀で終了に学ぶ『寂滅為楽』(じゃくめついらく)

『寂滅為楽』(じゃくめついらく)

「煩悩(ぼんのう)の火が完全に消えた悟りの境地(寂滅)こそ、真の安楽(為楽)である」という意味。

人生のあらゆる苦しみや迷いの原因となる煩悩を断ち切り、心が静まり返った「涅槃(ねはん)」の境地に到達することこそが、永続的な、本当の楽しみであるという解釈。

仏教における究極の教えの一つで、『涅槃経(ねはんぎょう)』に出てくる「雪山偈(せっせんげ)」と呼ばれる以下の四句の偈文(げもん)の最後の部分に由来する。

四句の偈文(げもん)は、諸行無常(しょぎょうむじょう)・是生滅法(ぜしょうめっぽう)・生滅滅已(しょうめつめつい)・寂滅為楽(じゃくめついらく)。

1975年4月に始まった「秘密戦隊ゴレンジャー」。現在放映中の「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」を最後に「スーパー戦隊シリーズ」の系譜を引き継ぐシリーズが終了することになったらしい。

まさにゴレンジャーシリーズや仮面ライダーシリーズ、ウルトラマンシリーズやキカイダー、スペクトルマン、ミラーマン、その他のヒーロー戦隊もので育った自分は寂しさを感じる世代の筆頭だろう。

とはいえ、現在の「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」はもちろん、シリーズのほとんどは見ていないし知らないのは致し方ない。

50年戦い続けた戦隊たちは悪人を倒し続けて、そろそろ『寂滅為楽』(じゃくめついらく)の境地にたどり着く頃ということだろう。

視聴者側としては、子供たちに夢と憧れの世界を見せてくれてありがとうという気持ちだ。

この世界は決して平和になっているわけではないけど、子供たちに勇気をもって立ち上がることの大切さを教えてくれた番組だった。

『寂滅為楽』(じゃくめついらく)

今夜2025年最大のスーパームーンに学ぶ『愛月撤灯』(あいげつてっとう)

『愛月撤灯』(あいげつてっとう)

月光があまりに美しいので、宴会の灯りを消してしまうことから、「ある物事をこよなく愛し、それ以外のものは不要だと考えること」を意味する四字熟語。

月の光が非常に美しかったため、宴会の席の照明(灯燭)をすべて消したという中国の故事に由来して、「月を愛して灯(ともしび)を撤(てっ)す」と訓読もされる。

さらに、物を極度に大事にして過剰な愛情を注ぐことという意味もあり、偏愛の程度が激しいことを表したり、それ以外の物を必要としないという極端な愛情を表現する言葉にもなる。

今夜は2025年のうち最も地球から近い満月となるため、今年最も大きく見える「スーパームーン」になるらしい。

ただし、「スーパームーン」という言葉は占星術の用語で、天文学的には明確な定義がないとのこと。

これまでも帰宅の途中に見上げる夜空に浮かぶ月が異常に大きいなと感じる日もあれば、あれ今日は小さいなと感じる日があったり本当に不思議な感覚もある。

それがいつの日か「スーパームーン」と呼ばれる現象なのかと知るようになり、季節によったり天候によったりもあるけれど、帰宅途中の夜空に浮かぶ月の満ち欠けを楽しめるようにもなった。

今の時代は夜出歩くのも怖くないくらいに明るいのはありがたい。それが昔の時代だと宴会の途中に見上げた月があまりにも美しいので宴の明かりを消して月を楽しもうという言葉には情緒を感じる。

それが、月の明かり以外は不要だという偏愛まで至ると逆に不自由になる気もするので、何事もほどほどに留めたいところだ。

今夜の月は雲に邪魔されることなく楽しめるだろうか?

『愛月撤灯』(あいげつてっとう)

LAドジャースワールドシリーズ連覇と山本由伸MVPに学ぶ『駑馬十駕』(どばじゅうが)

『駑馬十駕』(どばじゅうが)

駑馬(どば)とは、足が遅くて劣った馬のこと。十駕(じゅうが)とは、馬にとっての10日間の行程のこと。1日一駕(馬車を引くこと) の10日間分が「十駕」ということになることから、才能が劣る者でも、絶え間ない努力を続ければ、才能豊かな者に追いつくことができるということをたとえる四字熟語。

由来は『荀子』の記述で、才能に恵まれた駿馬が一日に千里を走るのに対し、鈍い馬でも10日かければ同じだけ走れるということ。

LAドジャースが神がかったポストシーズンを勝ち切って二連連続のワールドシリーズを制した。

普段はほとんど野球もメジャーリーグも見ないし、少しニュースで経過を知るくらいだが、メジャーリーグのこのポストシーズンは興味深く見守っていた。

三勝三敗で最終戦までもつれ込み、第七戦目も九回ツーアウトまではトロントブルージェイズが勝っていた。

そこから同点ホームランと、それぞれの満塁追加点なし、そして逆転ホームランと山本由伸の中ゼロ日での連投での優勝は劇的を通り越し、漫画でも映画でもドラマでも作ることができない現実の夢を見せてくれた。

相手方のトロントブルージェイズの監督を始め選手たちも悔しい試合となったことと思うが、野球の神様はドジャースに微笑んだ。

これを私たち一般人の日常生活に当てはめることはできないが、日々の生活へ勇気をもらった人も多かったに違いない。

そもそも日本のプロ野球自体が才能がある人たちが努力を重ねてたどり着ける領域。プロ野球の世界で生き残るだけでも過酷で熾烈だ。

そこからさらにメジャーに挑戦して、リーグ優勝だけでも大変なことなのに、ワールドシリーズに出場して活躍して優勝、連覇するという体験をできる人たちと私たちの生活は比べ物にならない。

ただ、私たちも『駑馬十駕』(どばじゅうが)のごとく、何かしらの努力を続ければ、自分たちなり成果を表せるはずだし、自分たちなりの境地に達することができる。

そこはワールドシリーズの舞台でも宇宙開発でもノーベル賞受賞でもないだろうが、自分なりに努力して自分にしか見えない景色を自分が楽しむという気構えが非常に大切だろう。

人と人の能力の差はいかんともしがたく、神様は非常に理不尽で不公平なときもある。

でも、人生の味わい方には上下も優劣も正誤もないはずだ。

私はメジャーリーグの選手たちから改めてそんなことを学んだし、『駑馬十駕』(どばじゅうが)という自分なりの速度と歩幅の大切さも学ぶことができた。