ロバートレッドフォードさん訃報に学ぶ『大賢虎変』

『大賢虎変』(たいけんこへん)

優れた賢者が、時の流れに合わせて、日々自己変革すること。
「大賢」は徳があって立派な人。「虎変」は虎の毛が美しく立派に生え変わること。優れた人が見事に変化や改革をすることのたとえ。

ロバートレッドフォードさんがお亡くなりになったという報道を見た。

自分は『スティング』のロバートレッドフォードさんの演技がとても印象的だ。『リバーランズスルーイット』という映画の映像美もよく憶えている。

ロバートレッドフォードさんの来歴を見ると、高校を卒業後は野球の特待生として大学に進むが、未成年での飲酒が発覚。特待生としての資格をはく奪されて大学を中退。

その後は、画家を志してヨーロッパを放浪するが画家の夢も挫折してアメリカに帰国。舞台美術を学んだことをきっかけに俳優に転向して大成功を収めることになったそうだ。

我々一般庶民からみると、元々から押しも押されぬ大俳優にしか映らないが、ロバートレッドフォードさん自身ではいろいろな挫折と挑戦を繰り返した人生だったことだろう。

元々才能があった人が時の流れに合わせて日々挑戦や変化を繰り返すというところが、『大賢虎変』という四字熟語にしっくりくる。

自分自身何の才能もないし、ロバートレッドフォードさんのような大成功を収めようという野心を持つわけではなく、自分の身の丈に合った挑戦と試行錯誤、そして何らかの学びを続けていきたいところだが、『大賢虎変』という四字熟語を参考にして日々自己変革していきたいと感じた。

そして、ロバートレッドフォードさんの来歴を簡単に調べた際に、高校時代の同級生である声優の東地宏樹が『明日に向って撃て!』というロバートレッドフォードさんの代表作のオンデマンド版で吹き替えを担当していたことを知った。

そんな縁にも感謝して、ロバートレッドフォードさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

『大賢虎変』(たいけんこへん)

井上尚弥世界タイトルマッチ防衛に学ぶ『鉄心石腸』

『鉄心石腸』(てっしんせきちょう)

鉄のような心と石のような腸(はらわた)という漢字の使い方から、意思や精神が堅固でどんな障害や誘惑にも心を動かされないこと、その意思や精神の強さを意味する四字熟語。

井上尚弥がムロジョン・アフマダリエフを判定で倒して、スーパーバンタム級4団体のタイトルの防衛に成功した。

今回はKO決着ではなかったものの、完璧に相手を封じ込む試合運びで圧倒しての判定勝利。

32歳という年齢で円熟味も増して、単にKOを狙うだけではなく様々な相手のスタイルに合わせて戦い方を変化させることができることを証明した。

それもこれも日頃からの練習やトレーニングの賜物ということだが、まさに強くて堅固な意思や精神を持っていなければ厳しい練習を積み重ねることはできない。

さらに井上尚弥個人にとどまらず、ジムの代表やコーチ陣など周囲のサポーター全員が鉄の心と石のような腸を手に入れるような厳しい環境で練習を続けることが必要になる。

今回の勝利で31戦31勝27KOの負け知らず。

戦前の話題では今回かなり苦戦する可能性を覆して、一方的に圧倒する内容でほぼ完璧に防衛した。

これで次は12月ごろにサウジアラビアでの試合を経てからの、中谷潤人選手との日本人頂上対決が現実味を増してきた。

ボクシング界はタレント揃いな時代となりかなりの注目を集める一方、不幸な事故も続く現状に様々な改革も求められている。

それでも井上尚弥というパーフェクトなモンスターや大谷翔平という二刀流の圧倒的なスターがいると、ボクシングや野球を目指す子供たちもまた改めて増えてくることだろう。

その子供たちも単に人気者を目指すだけではなく、『鉄心石腸』という世の中を生きる上でとても大切な意思の強さも磨いてもらいたい。

北斗の拳の日(9月13日 )に学ぶ『知恵と力は重荷にならぬ』

『知恵と力は重荷にならぬ』

読んでそのままの意味だが、知恵と力はいくらあってもあり過ぎて困ることはないということ。

今日9月13日は北斗の拳の日だそうだ。1983年(昭和58年)9月13日から少年ジャンプで連載が始まったことに由来する。

連載当時は自分も愛読者の一人だった。

初めて北斗の拳を読んだときの感想は、こんな暴力がはびこる世になったら一番最初に強者どもの餌食になると、比較的小柄で華奢だった自分は震え上がったものだ。

それが、今の世の中では冗談で頭や体を叩くことも言動や雰囲気で相手を威圧することさえもハラスメントととらえられる時代になった。

これはまさに人間の知恵が働き、暴力やで対人関係をコントロールすることを否定してきたことなんだと思う。

そう考えると、昭和時代にはまだまだ世の中の暴力は今よりも全然身近だったし、明治・江戸やそれ以前の時代に一般庶民の生活規律はどのように治安を保っていたのだろうか?

歴史を見ても、武家社会や公家社会は解説されていても、一般庶民の暮らしのルールや対人関係の強弱は語られていない。

当然ながら、大きくて強くて強面の人もいれば、小柄で非力な人もたくさんいたことだろう。

法律や公共のルールなどは今ほど整備されていないし、それを定めても広報もできなければ破っても取り締まることも難しかったはずだ。

そんな時代にも何とか人は自衛し家族を守り、必死に生活を保ってきた延長が現代につながっている。

だんだんと文明が進化する過程で、暴力は取り締まられることとなり、治安を維持するための知恵が絞られてきた。

このようなことを想像するだけでも『知恵と力は重荷にならぬ』ということわざの意味を重く感じる。

極真空手創始者の大山倍達総裁の言葉にこんな言葉がある。
『力なき正義は無能なり、正義なき力は暴力なり』

まさに世の中には知恵も力もどちらも両輪で必要だということだ。
『文武両道』ともいえる。

力とは決して暴力であってはいけないし、知恵も人を出し抜くものであってはならない。

『知恵と力は重荷にならぬ』

マラソンの日に学ぶ『駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦これに及ぶ』

『駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦これに及ぶ』(どばもじゅうがすればすなわちまたこれにおよぶ)

今日9月12日はマラソンの日。

紀元前450年の9月12日、ペルシャの大軍がアテネを襲いマラトンに上陸したのをアテネの名将ミルティアデスの奇策でこれを撃退し、フェイディピデスという兵士が伝令となってアテネの城門まで走りついてアテネの勝利を告げたまま絶命したと言われていることから今日がマラソンの日と制定されたらしい。

『駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦これに及ぶ』は、『荀子』に由来する故事成語で、足の遅い馬でも10日間(十駕)も続けて走れば、1日で千里を走る名馬に追いつくことができる、という意味。転じて、才能がない者でもたゆまず努力し続ければ、才能のある人に肩を並べることができるという、努力の大切さを説いた言葉となっている。

自分は、足のが速くもなく遅くもないタイプだったので、短距離でも長距離でも足の速い人に憧れがあった。

運動会も特に活躍するわけでも目立つわけでもなく、何で運動神経やいろいろな才能の良し悪しがあるのか、世の中の不公平や不遇を感じることもあった。

運動会や学芸会、写生会、書写など本当に子供にとって能力の違いを感じることはとっても厳しい宣告を受けるようなものだ。

だけど、このことわざのように、何か自分にとってできる努力を重ねることで、駿馬に追いつくことができるかはともかく、自分なりの進歩や達成感を得ることは可能だ。それが希望であり、才能よりも大切な感覚だと思う。

ウサギとカメのウサギではないが、どんなに才能に恵まれても上には上がいるし、その才能で飯が食えるようになるとも限らない。

そして、多少の才能では、駑馬のように足が遅くとも努力を続ける者には追い付かれて、抜かれてしまうこともある。

明日から東京で世界陸上が開幕する。世界中からタレント中のタレントが選り抜かれて集まる陸上の祭典だ。

その体力お化けたちの競い合いをぜひとも楽しみたい。

『駑馬(どば)も十駕(じゅうが)すれば則ち亦これに及ぶ』(どばもじゅうがすればすなわちまたこれにおよぶ)

秋篠宮紀子さま誕生日に学ぶ『栴檀は双葉より芳し』

『栴檀は双葉より芳し』(せんだんはふたばよりかんばし)

「栴檀」とは「白檀」という香木のこと。さらに言えば、「香木」とは、自然の作用によって樹脂に香り成分が生成されて、特別な香りを発するようになった木の総称のことを言う。日本では一般的に、伽羅(きゃら)、沈香(じんこう)、白檀(びゃくだん)の3種を指し、これらは香道やお香、線香の原材料として利用されている。

『栴檀は双葉より芳し』は、香木(栴檀)が自然発生的な現象によって、すでに芽生えたころからかぐわしい香りを放っているということから、人間も同様にしっかりとした教育を受け、教養が確かな人は子供のころから何かしら人を引き付ける魅力がある、という意味のことわざ。

秋篠宮妃紀子さまが今日お誕生日を迎えられた。

皇族だからとかという意味ではないが、やはり我々の国にとっての象徴にあたる天皇陛下を頂点とした皇族の皆様にもきっとご苦労はあると思う。

そして、そこに民間の外から嫁ぐということは、一般庶民からみると華やかで贅沢に見える気もするが、傍から見るよりもきっと大変なことがたくさんあるだろう。

そんな中においても3児のお子様を育てられ、我々にも慈しみの感覚で接して下さるであろう紀子さまにも誕生日を機会に益々ご健康に留意されてお過ごし頂きたい。

今にして思えば、皇室に嫁がれるという運命に導かれるのも、『栴檀は双葉より芳し』のことわざのように、しっかりとした教育と教養を身に付けられたことから醸し出される魅力に秋篠宮さまが魅かれたということだったのだろう。

私たち一般庶民も皇室のような生活に憧れるのではなく、何歳からでも、何歳になっても、個々が自分なりの教養を身に付ける努力を怠らないということが大切なことだろう。

それを今年の秋篠宮紀子さまの誕生日から学んだ気がする。

『栴檀は双葉より芳し』(せんだんはふたばよりかんばし)

2025年の二百二十日に学ぶ『居安思危』

『居安思危』(きょあんしき)

今日は今年の立春から起算して二百二十日目にあたる日で、台風の特異日ともいわれている。

今日の今日ではなかったが、静岡県では先日の台風のよる被害が甚大だったようだ。まさにこの二百二十日前後には秋台風が日本を通過する可能性が高い時期ということだ。

そして、『居安思危』(きょあんしき)という四字熟語は、用いられている漢字から読み取ることができるように、安泰な状況にいるときほど将来の危険や困難に備えるべきだという考え方、すなわち、平和で順調な時こそ油断せず、常に危機感を持って、いざというときのために準備を怠らないことが大切だという戒めの言葉となっている。

とは言え、危機や天災も『喉元過ぎれば熱さを忘れる』で、日ごろから対策を講じておくことは非常に煩わしいのも人情。

災害があった直後には備品などをしっかりと揃えても、少しずつ時間が経過するにつれて古くなる備品を入れ換えるなどのメンテナンスは疎かになる。

そして、災害はそんなときにこそやってくる。

だからこそ、昔の人は二十四節気や故事・ことわざ・四字熟語を用いて、忘れてはいけない大切なことを後世に語り伝えてきたのだと感じる。

それをどう受け止めるかは個々の自由ではあるが、何かあった後に後悔したり、他人に頼らざるを得なかったり、行政に保証を求めたりということにはならないように備えたい。

ただし、南海トラフ巨大地震もいつ来るのかわからないことを理由に、報道やメディアが必要以上に恐怖や不安を煽るのを見ていると辟易することもある。

我々一人一人が必要の範囲で正しく備えておく。これがとっても大切なことをまずは自覚しておこう。

『居安思危』(きょあんしき)