ブルーインパルスに感じる違和感に学ぶ四字熟語「表裏一体」

「表裏一体」

この四字熟語の意味は、一見すると対立するようにも見える二つのものが実際には密接に結びついていて、切り離せない関係にあることを表す。

現在開催されている大阪・関西万博の初日に飛行するはずだったブルーインパルスが天候不良だったために昨日と今日、改めて万博会場の上空を飛行するそうだ。

ブルーインパルスに関する報道を見ているといつも矛盾を感じる。

ブルーインパルスも戦闘機なんだから戦争のための道具であり、戦争のための組織であり、いざというときには何らかの形で国を守るための訓練の一環としてのブルーインパルスであるはずだ。

だけど、ブルーインパルスに関しては世の中が極めて好意的に報じる。

自分自身は入間基地の航空祭なども見に行くし、やはりブルーインパルスを始めとする航空機を見たり、飛行する際の轟音を聞くと興奮してくるくらい大好きだ。

だから、この社会に戦争を彷彿させる何かがあっても必要以上に戦争反対とか平和が脅かされると声を上げるつもりはない。

いつも「この国が戦争に向かわないように」などと声高に叫んでいる人たちはブルーインパルスに関する報道をどのように見るのだろうか?

ブルーインパルスも原子力発電も自衛隊も全部一緒くたにするつもりはないが、とにかくブルーインパルスも国防も様々なことは社会において切り離すことができない「表裏一体」の存在なのではないだろうか?

戦争も平和も表裏一体、秩序も混乱も表裏一体。それが社会というところではないだろうか?

「表裏一体」

新聞配達の方がクマに襲われ死亡に学ぶことわざ「浅い川も深く渡れ」

「浅い川も深く渡れ」

このことわざの意味は、たとえ浅く見える川でもどんな危険があるか分からないから、深い川を渡る気持ちが大切ということ。日常の何でもないところでも用心が必要だと油断を戒めることわざ。

それにしても毎日毎日の仕事である新聞配達中にクマに襲われるなど想定できるものではなかっただろう。心からのご冥福を祈りたい。

日々真面目に新聞配達に取り組んで、このような事故に遭遇してしまうとはさぞかし無念だろう。

都市部に住んでいれば、日常的に車の事故や隣人とのトラブル、無差別の人を狙う犯罪や特殊詐欺などの危険性が高い。

それが不安で郊外に住む方もいるかもしれないが、地方に行けば行ったでクマに対しても備えなければならない。

結局はどこに行っても日常の備えは欠かすことができないという教訓だ。

事故や事件に限らず、家の敷居を一歩またいだら気を抜くなという教訓もあるし、家の中にいても熱中症や詐欺電話に強盗が押し入る可能性もゼロではない。

人生を過ごすということ自体が、日々どのように自分の生活を守るかという課題の連続だ。

朝目が覚めて、仕事に行って、時間が経って夜には帰宅してお風呂に入って布団に入る。これが当たり前のようだが、油断していてはその当たり前が当たり前でなくなるときがくるかもしれない。

浅い川も深く渡ろう。

セブンイレブンの日に学ぶ四字熟語「櫛風沐雨」

「櫛風沐雨」(しっぷうもくう)

今日は7月11日という日付からセブンイレブンの日でもあるようだ。

そして、このことわざの意味は、風雨にさらされて苦労すること、さまざまな苦労をすることのたとえ。

セブンイレブンが開業したのは1974年5月15日。東京の豊洲に第一号店ができたそうだ。

私自身も10歳にならないころで、テレビコマーシャルを打ち出しのはもう少し経過してからだろうが、そのコマーシャルを見たことは覚えている。

「開いてて良かった!」がキャッチコピーだった。

当時の社会情勢としては、酒屋や雑貨やなどのお店も早くて10時開店くらいだったので、何か必要な物を買いに行くのもその時間帯を待たなくてはならなかった。

そして、飲み物なら酒屋か乾物屋など、パンはパン屋、文房具は文房具屋、電気関係は電気屋などといくつものお店を回らなくてはならなかったし、おにぎりなどは自分の家で作るもので買う物ではなかった。

それがこの半世紀くらいの間に本当にコンビニのお陰様で世の中が変わったと言って差し支えない。

一つの店舗で何でも売っているし、それが24時間営業してくれている。公共料金も24時間支払えるし宅配の荷物も送れる。

私たちが感謝しなくてはならないのは、これだけ便利になっている過程においてコンビニ各社が本当に様々な努力を積み上げてくれていることだ。

櫛風沐雨という言葉にあるように、風に髪の毛がとかされるような、雨に髪を洗うような苦労を乗り越えてきてくれたはずだ。

その企業努力の恩恵を被って私たちの生活は便利になっている。

加えて言えば、コンビニで働いてくれている方々にも感謝の気持ちを忘れたくない。

24時間の営業を守り、常に進化する商品とお店の運営をキャッチアップするのは本当に大変だろう。

これからもどんどん進化するコンビニの企業努力と携わる経営者や従業員の方々のお蔭で今日の日本のライフスタイルが保てていることにに感謝する一日にしたい。

「櫛風沐雨」

猛暑に外で働く人々すべてに贈る四字熟語「報恩謝徳」

「報恩謝徳」(ほうおんしゃとく)

「報恩謝徳」とは、受けた恩に対して、感謝の気持ちを持ち、それに見合う行動で報いること。

この猛暑・酷暑の中で外で働かなくてはいけない方々がいる。誰だってエアコンの効いた屋内で過ごしたい。

でも仕事の種類によっては当然ながらそんなわけにはいかない。

ちょっと考えただけでも、物流の方々、建築・建設・公共工事現場の方々、道路通行整備の方々、測量の方々、農家・畜産・漁業の方々、その他にもありとあらゆるところに外で働いてくれる方々がいらっしゃる。

仕事に貴賤はないためどこ仕事が上とか下とかではなく、お互いに感謝と敬意を持つことで社会がより気持ちよく成り立つと思う。

そして、その感謝を何かしら自分の行動で報いる気持ちを持つことで、良心の循環を生むことができるのではないだろうか。

社会生活はまず自分が自立と自律で成り立たせることが第一だけど、成長することによって視野が広くなり自分だけで社会が成り立っているわけではないことに気付く。

そこに気付くと自然とお互いに感謝と敬意の気持ちを持つことが大切なんだと理解できる。

世の中の人々にありがとう。外で働く人も屋内で働く人もすべての人がいるから社会が成り立つ。

今日も社会に自分なりにできる行動で少しでも報います。

「報恩謝徳」

安倍元首相銃撃から三年に学ぶことわざ「大義親を滅す」

「大義親を滅す」(たいぎしんをめっす)

安倍元首相が銃撃に倒れてから今日で三年ということらしい。
あっという間というか、ついこの間の事件だったような気もする。

「大義親を滅す」ということわざの意味は、国家の大事のためには肉親の情をも顧みないという意味。昭恵夫人にとっては非常に酷な言葉でもあり、国家を率いる首相を務めるということは本当に命がけという事実でもある。

単に気の毒というレベルの話ではなく、政治とは利害の調整であり早い話が税金の分配ということだから、それぞれの当事者にとっては死活問題であって、それを差配するトップとしての首相はまさに命がけの仕事になる。

首相になる人も様々だが、それぞれが持つ国家感を少しでも現実にしてみたいというのも為政者の感情だろうし、実際にそんな経験ができる人はほんのわずかな人たちに限られる。

そういう意味では、特に現在の首相などからは本気の命がけという信念が感じられない。

我々国民もバカではないから、その人の立ち振る舞いや発言などの何かからその人の人となりを感じるものである。

だから選挙には風も吹くし投票率も上下する。

投票日を三連休の中日に設定するなどという姑息な手段すら使う現政権与党もそれなりに必死なのかもしれないが、それは国民のためにという風には受け止められない。

現政権やこれから首相を目指す人たちには安倍元首相の生き様とこのことわざをよく噛みしめて欲しい。

「大義親を滅す」

フジテレビ検証番組に学ぶ四字熟語「旧套墨守」

「旧套墨守」(きゅうとうぼくしゅ)

「旧套」は、古い体質や習慣、前例などを指す言葉。

「墨守」は、中国の思想家である墨子が、楚の攻撃から宋の城を何度も守り抜いた故事に由来する言葉。墨子は、自分の主義主張や戦略を固く守り、決して変えなかったことから、「墨守」とは、自分の考えややり方を頑なに守り通すことを意味するような意味の言葉になった。

要するに強烈な成功体験を得て、何も考えずにそのやり方さえ守っていれば上手くいく時期が長く続いた時代や考え方に注意を促す言葉でもある。

フジテレビも日枝体制の基、「フジテレビでなければテレビにあらず」という強烈な成功があったが故にその時代の手法や慣習が長く続き、そしてそれを改めることができないまま現代に至ってしまった。

これは非常に難しい問題でもあると思う。

誰しも強烈な成功を求めるものだし、成功を収めると注意する者も現れなくなり、有頂天となり天上天下唯我独尊になってしまう人も少なくない。

そこで失敗をしたり痛い目にあったり、火傷をしたり、辛酸を舐める経験をすることもあるが、そこから立ち直り這い上がる者が本当の「強さ」を身に付ける。

ここで言う「強さ」とは、単に成功を収めればいいとか影響力や知名度を上げればいいという単純なことではなく、人生には良いときや悪いときがあるということを知り、そんなときに周囲の人がどう自分に接してくれるのかということを体験して、そして自分が本当に大切にすることは何なのかに気付くことだと思う。

そして、それを実践していくことで本当に信頼ができる仲間や家族に恵まれていく過程が本当の「強さ」ではないだろうか。

その強さを身に付けるには「旧套墨守」にならないように常に自分の考え方や行動を客観的に見ていく必要があるだろう。

「旧套墨守」