新浪剛史氏経済同友会辞任に学ぶ『飛花落葉』

『飛花落葉』(ひからくよう)

絶えず移り変わり無常であることを例える四字熟語。

春に咲く花もやがて散り、青々と茂る木々の葉も枯れて落ちる様子から世の中の変化を感じ取ることができる。

先月サントリーホールディングスの会長を辞任した新浪剛史氏が経済同友会の代表幹事を辞任することになった。

まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで駆け上がった経済界での存在感を白紙にしてしまうような経過に、きっとご本人が一番混乱されていることだろう。

元々は違法性のあるサプリメントを購入したという疑惑が発端ではあるが、刑事事件としては立件されるのかどうか現時点ではまだ見通しが立っていない。

この時点で軽率に新浪剛史氏を批判することは憚られるが、ただ少なくとも経済界でも高い立場に立つ者には厳しい倫理観が求められることは間違いない。

ただ、昨今では国政党首が不倫問題を起こしても数か月の謹慎で元の党首に戻っているのも現実で、倫理観も問題だがやはり違法性を帯びるような疑惑なのかどうかということも大きな問題であるだろう。

新浪剛史氏はローソンを立て直した大きな実績からサントリーを率いるまでに取り立てられたという経歴を持つ、まさに剛腕の人のような印象がある。

話からやその内容も豪放磊落という印象もあるし、物事をストレートにはっきりと言う切れ味のよさでも定評があった。

それが何故違法の可能性があるサプリメントなど購入するのだろうか?

そして、それをきっかけに『飛花落葉』のように現在経済界から散り落ちていくような流れとなっている。

新浪剛史氏のような人にも隙があったのか?

そして、それは誰にも他人ごとではない。自分も調子に乗って季節外れに散る花や葉にならないよう常に気を引き締めたい。

『飛花落葉』(ひからくよう)

じわり人気の立体刺繍に学ぶ『一念通天』

『一念通天』(いちねんつうてん)

強い信念や真心を持って一心不乱に努力を続ければ、必ず天に通じて物事を成し遂げられる、という意味の四字熟語。「一念天に通ず」と言ったりもする。

先日新聞で若い人たちの間で、糸やフエルトで作る立体刺繍がじわりと人気を上げているという記事を読んだ。

刺繍を立体的3D的な三次元で作るのでかなり時間を要するらしいが、集中力を向上させる効果もあるところが『一念通天』という言葉に通じる。

何事も時間をかけて努力をすれば、時間がかかって難易度の高い立体刺繍も完成するときがくる。

個人的には、まず刺繍は小学生のころか中学生のころに家庭科の授業でやったことしかない。そして、この手の作業は非常に苦痛で苦手だった。

手先が不器用な上に集中力がないので、思うように針も進まず、思うように綺麗にならないから余計に集中力も早く切れる。

そんな悪循環を感じる作業だったので、刺繍を立体的に作る人たちの創作意欲にはまず敬意を感じる。

最初はお手本や立体刺繍キットみたいなものがあるのかもしれないが、それを最初に考えた人や取り組み始めた人は、何も見本がないところから自分て考えるという創造力にも脱帽だ。

自分自身も含めて人は最初から正解を求めるが、自分で試行錯誤しながら現物を創っていくという感性を持つ人は本当にすごいし尊敬に値する。

立体刺繍という創作物を創る過程も『一念通天』だし、他の仕事でも勉強でも何事も地道に時間をかけて取り組めば、必ずそれなりの結果に結びつく。

例えそれが自分の目標に達しなかったとしても、そこから何かヒントを得て試行錯誤して、またチャレンジを続ければ必ず進化はする。

そのプロセスこそが『一念通天』ということだ。

この記事を読んでも自分で立体刺繍に取り組もうとは思わないけど、根気強く物事に取り組み試行錯誤して続けることが大切ということを改めて学んだ。

『一念通天』(いちねんつうてん)

小泉進次郎ステマ問題に学ぶ『潜移暗化』(せんいあんか)

『潜移暗化』(せんいあんか)

環境や他人の影響によって知らず知らず感化されたり、性質や思想などが変化すること。

「潜」も「暗」も、ともに密かに、知らない間にという意味。「移」と「化」は移り変わることや感化されることを意味する。

自民党総裁選に出馬中の小泉進次郎氏にステマ指示問題が発生。

自民党総裁選に立候補している小泉進次郎氏の陣営が動画投稿サイトに小泉氏を称賛するコメントを書いて欲しいと陣営関係者に要望していたという記事が週刊誌に掲載されて、小泉氏陣営も事実関係をおおむね認めているらしい。

投稿するコメント例も示していたようなので、明らかな故意ということになる。

人は知らず知らずのうちに環境や他人の発言など、目にするものや耳にすることで感化されたり影響を受けたりする。

それを意図的に上手く利用することが「ステルスマーケティング」いわゆる「ステマ」と言われる手法だ。

主に商品の販売促進などに利用されることが多いが、政治的に利用されるとプロパガンダと呼ばれたりすることもあり、昔から販促にも政治にもステマは活用されている。

それに注意を促すのが「潜移暗化」(せんいあんか)という四字熟語である。

目にすることや耳にする情報にはどんな意味があるのか、誰かの恣意で操作されていないか、何か意図がないのか、そんなことを考えるきっかけになる。

何もかもを疑ってかかると、それはそれで「陰謀論」と紙一重になってしまうが、報道やメディアから出てくる情報には何らかのバイアスや意図がある場合が少なくない。

それ自体は一般的にも浸透していることではあるが、普通の通販サイトの口コミ情報やSNSの投稿やコメントなどは疑ってかかる人は少ないだろう。

それを今回小泉進次郎氏陣営が実際にステマを促していたというのだから大きな失点だ。

これがどう現在進行中の自民党総裁選に影響するのかは判らないが、この問題を一つきっかけとして、改めて『潜移暗化』(せんいあんか)という言葉を学び、目や耳にする情報に気を付けたい。

トヨタのウーブン・シティ始動に学ぶ『継往開来』

『継往開来』(けいおうかいらい)

先人の事業や伝統を受け継ぎ、それを発展させながら未来を切り開いていくことを意味する四字熟語。過去から続く歴史や経験を大切にし、未来への新たな道筋をつけるという、継続と発展の精神を表している。

トヨタのウーブン・シティがいよいよ2025年9月25日に実証を開始した。

ウーブン・シティとは、トヨタが静岡県裾野市に建設している「実証実験の街」。自動運転、AI、ロボット、水素エネルギーなどの未来技術を導入し、人々が日常生活を送りながらこれらの技術を実証する「生きた実験室」となることを目指すそうだ。

自動車に限らない様々な「モビリティ」(移動手段)のテストコースとして作られた街で、トヨタの「私有地」であることを生かし、一般の公道などではテストが難しい仕様を取り入れながら、実際に人が入居して社会インフラとあわせた実証実験を行うことになる。

ウーブン・シティの「ウーブン」とは「Woven(織り込まれた)」という意味で、街の道が網の目のように設計されていることから名付けられている。

トヨタ ウーブン・シティの目的は、「幸せの量産」を目指し、人中心の街・実証実験の街・未完成の街をコンセプトに、ヒト、モノ、情報、エネルギーが連携する社会インフラの未来を実証・検証すること。

世界的な企業トヨタのそんな先進的な試みには『継往開来』という四字熟語がぴったりだ。

これまでのトヨタの事業を引き継ぎ発展させながら、さらに未来を切り開く場として期待されるのがウーブン・シティであるだろう。

ウーブン・シティには、まずトヨタ関係者とその家族数世帯が入居して実証実験に参加。最終的に約300人が入居する予定となっているとのこと。

一般客の受け入れは2026年度以降を予定しているということなので、いずれはトヨタの『継往開来』の場をこの目で見てみたい。

『継往開来』(けいおうかいらい)

世界陸上男子400mリレー決勝に学ぶ『捲土重来』

『捲土重来』(けんどちょうらい)

一度失敗した者が努力の上で勢力を盛り返し、再びもう一度立ち向かってくること。

「捲土」は土を巻き上げることで、勢いが激しい意味。「重来」は再びやってくること。

昨日閉幕した2025年の世界陸上。男子400mリレー決勝でメダル獲得が期待されたが、結果的には6位入賞。大変立派な成績で有終の美を飾った。

男子400mリレーでは、東京オリンピック決勝では痛恨のバトンミスで無念の途中棄権。今回は東京オリンピックと同じ国立競技場という舞台でリベンジを期したが、残念ながら表彰台にはあと一歩だった。

この男子400mリレーという種目では、2008年の北京オリンピックで銀メダルを獲得。2016年のリオデジャネイロオリンピックでも銀メダルを獲得という快挙を成しえていたので、今回もメダル獲得が期待されていた。

それにしても、たった一秒の違いが順位を大きく変えるこの競技は、やはり世界の壁が高い。たった一秒、されど一秒。

ただ、元々体格と筋力で劣るアジアの選手としては、大変健闘したということで観客やメディアを通じて応援するファンには感動を与えたことだろう。

そして、記憶に古くない東京オリンピックでのバトンミスから、まさに『捲土重来』の挑戦。大変な努力の上に、土を巻き上げて再び奴らが帰って来たというイメージを想像させるような機会となった。

一人一人の選手も強いが、四人のバトンリレーで息を合わせて戦うことでさらに強みを増すという競技性も観るものに勇気や感動を与えてくれた。

リレー選手以外にも様々な協議に出場した選手全員、日本人外国人問わず全ての選手と関係者にお疲れ様でした、感動をありがとうございましたと伝えたい。

『捲土重来』(けんどちょうらい)

彼岸の入りに学ぶ『善の極まりは孝より大なるはなし』

『善の極まりは孝より大なるはなし』

仏教の言葉で、親に孝行を尽くすことが善行の中で最も価値があって素晴らしいものであるという意味。

2025年の今年は今日9月20日が彼岸の入りになる。ちなみに、9月23日が彼岸の中日となり9月26日が彼岸の明けという日程。

彼岸とは、日本の雑節の一つで仏教行事。春の彼岸と秋の彼岸がある。

そして、彼岸は二十四節気の「春分」と「秋分」を中日として、前後3日間合わせた七日間あって、一年のうち春と秋の14日間が彼岸にあたる。

この期間に行われる仏教行事を「彼岸会」と呼んで、一般的にはこの期間中にお墓参りを行うとされている。

お彼岸の最初の日を「彼岸の入り」、お彼岸の最後の日を「彼岸の明け」と呼んで、中日の「春分の日」と「秋分の日」は国民の祝日となる。

そんなわけで、2025年の今年は9月23日が秋分の日なので今日9月20日が彼岸の入りになる。

子供の頃にはこんな行事や風習には一ミリも興味がなかった。世間がお彼岸だのお盆だのと言っても意味が分からず、「暑さ寒さの彼岸まで」という言葉が少し頭に残る程度だった。

それが様変わりしたのは、やはり両親を亡くしたことがきっかけだった。

それまでの親不孝を深く反省すると同時に、亡くなってからでは遅いことは解っていても少しでも両親への感謝の気持ちを行動にしなければと、お彼岸やお盆、その他の行事や風習にも関心を持つようにした。

もちろん、特別な事情がなければお墓参りも欠かさないようにしているつもりだが、それが両親にとっての親孝行という感覚ではなく、どちらかと言えば自分の罪滅ぼしという感覚になる。

ただ、両親は自分のそんな行動を意に介さないだろう。何をしても広い心で受け止めてくれていたし、逆の立場で自分自身も自分の子供に自分への親孝行を求めないし、自分が亡くなった後にお墓参りや法要を求める気もない。

きっと何にしても自分の心次第ということだろう。

「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉通りに今年もようやく涼しくなってきた。

今までの親不孝を多少お墓参りに行ったからといって帳消しになるわけではないが、『善の極まりは孝より大なるはなし』という言葉と気持ちを次世代に伝えていくことで少しでも罪滅ぼしをさせてもらいたい。

『善の極まりは孝より大なるはなし』