悠仁さま伊勢神宮参拝に学ぶ『神様にも祝詞』

『神様にも祝詞』(かみさまにものりと)

私たちのような一般庶民と皇室といった環境との違いはいかばかりだろう。

そして、『神様にも祝詞』(かみさまにものりと)ということわざ。

意味は、神様は何でもお見通しとは言え、祈りの言葉を口に出して初めて伝わるもの。このことから、分かっていることであっても改めて言葉にして伝えることによって、初めて相手に伝わるということ。

悠仁さまは、伊勢神宮参拝で何をお祈りなさったのだろうか。

天皇陛下も皇室関係者も悠仁さまも伊勢神宮への参拝を欠かさない。それはやはり『神様にも祝詞』で、直接現地へ趣いて自分の願いや祈りを直接伝えることによって伊勢神宮の神々が理解してくれるからだろう。

逆説的に言えば、天皇陛下であっても悠仁さまであっても、伊勢神宮の神様へ直接お祈りを伝えなければ伝わらないということ。

それは、神様によって願いや祈りが聞き入れてくれるかどうかということよりも、自分自身が自分の気持ちや願い、祈りを言語化して自分自身としっかりと向かい合い、自分が選択する方向性などを自覚することが大切という意味もあるだろう。

神様に願えば何でも現実になるわけではない。神様は努力する者にしか微笑まない。他力本願では祈っての効果はない。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉につながるように、自分にできることはやり尽くして、その上で神様が力を貸してくれるかどうかということが重要だ。

石破茂首相退陣に学ぶ『漱石枕流』

『漱石枕流』(そうせきちんりゅう)

この四字熟語の意味は、自分の失敗や間違いを認めず、屁理屈やこじつけで言い逃れることを表す。

元々の由来は、西晋時代の人物、孫楚(そんそ)が隠居の意思を友人に話す際に、本来「石を枕に、川の流れで口を漱ぐ(すすぐ)」生活を送りたいという思いを、間違えて「石で口を漱ぎ、川の流れを枕にしたい」と言ってしまったという故事。

それを聞いた友人は、「流れは枕にするものではなく、石も口を漱ぐものではない」と指摘されると、孫楚は間違いを認めず、即座に「流れに枕するのは耳を洗うため、石に漱ぐのは歯を磨くためだ」と屁理屈をつけたと言われている。

この『漱石』という言葉は、明治の文豪夏目漱石の雅号も由来するらしい。

それにしても、石破茂首相の屁理屈やこじつけ、負け惜しみはひどかった。参議院選挙が7月20日だったはずだから、ひと月以上の間総理総裁の席にしがみつき、退陣を先送りにしてきたことになる。

個人的に、石破茂首相は好きでもないし嫌いでもないが、結局国の舵取りを担えるのは選挙という戦いで勝ったリーダーだけだ。

どんなに優れた政策や政治思想やその理屈を持っていても、選挙で勝てないリーダーの言うことには発言力も説得力も伴わない。

それを知ってか知らずか、米国の関税問題や政治日程、物価高対策やその他の課題を理由に政治空白は許されないと息巻き、辞任や退任を避けてきたが本当に万策尽き、いよいよ引導を渡される格好になってしまった。

夏目漱石はその文才で「漱石」という皮肉を有効に生かしたが、石破茂首相の『漱石枕流』には辟易するものがあった。

自民党総裁が変わったとしても少数与党という現状は変わるものではなく、これからも不安定な政権運営を余儀なくされることになる。

それはまた再び国民生活が不安定な状態になることを意味する。

福田・安倍・麻生と次々と総理が変わったあの時期の閉そく感をよく覚えている。あの時の重苦しい雰囲気がやってくることがないように期待したい。

『漱石枕流』(そうせきちんりゅう)

民放テレビスタートの日に学ぶ『石車に乗っても口車に乗るな』

『石車に乗っても口車に乗るな』(いしぐるまにのってもくちぐるまにのるな)

「石車」は、踏みつけた小石に足をとられること。「口車」は、口先のうまい言い回し。
「石車に乗っても口車に乗るな」ということわざは、たとえ小石につまずくことがあっても、誰かの甘い言葉に騙されてつまずかないように注意しろという意味がある。

1953年(昭和28年)8月28日午前11時20分、日本テレビ(JOAX-TV)が民間放送として初のテレビ放送を正式に開始した。

同じこの年の1953年2月1日に日本で初めて日本放送協会(NHK)の東京テレビジョン(JOAK-TV)がテレビ放送を開始していたのだが、民法は1953年の今日放送開始ということなので、今日は民法テレビスタートの日ということになる。
NHKも民法も放送を開始してから72年ということになるが、この間は様々な紆余曲折があった。
最近で言えば、ジャニーズ問題やライブドア事件もその類と言っていいだろう。
そして現在ではテレビや新聞などはオールドメディアと称されて、視聴率や新聞購買数などは軒並み激減の一途。
それもこれも、やはりSNSの発達によってメディアがある程度情報操作しているということを隠し切れなくなったしまったということも言えるのではないか。
世論調査と称して適当な数字を根拠に民意の流れを作ったり、大した中身もないような話を専門家と称する大学教授や金融機関の人など御用学者に語らせるたり。
若いときには気付かなかったような放送の裏側の意図が感じられるような世代になると本当にテレビやメディアがバカバカしくなった。
だからテレビの言うことをまともに聞くなという意味で『石車に乗っても口車に乗るな』ということわざが参考になる。
この季節、「できるだけ外出せずにエアコンの効いた部屋で過ごすように」と熱中症への警戒を促すが、外出せずにエアコンの効いた部屋でできる仕事に就く人は日本の労働者人口のどれくらいの割合だと思っているのだろうか。
テレビやオールドメディアの報道には本当に心底の憤りを感じる。
私は絶対にテレビの報道を信じない。『石車に乗っても口車に乗るな』

日産GT-R生産終了に学ぶ『鶏群の一鶴』

『鶏群の一鶴』(けいぐんのいっかく)

鶏の群れの中の一羽の鶴という表現から、多くの凡人の集団の中に際立って優れた一人の人物、優れた人物やその理想的な姿を表すことわざ。

日産GT-Rが最後の一台を作り終え、生産を終了すると発表した。

日産GT-Rは乗ったことやハンドルを握ったことはないが、我々のような車世代には「いつかはクラウン」以上に日産GT-RやフェアレディZ、ホンダNSXといった国産スポーツカーに憧れを持つ人も多いのではないだろうか。

もちろん、それはイタリア社のフェラーリやランボルギーニというスーパーカーに対しても同じ気持ちだとは思うが、国産スポーツカーはスーパーカーよりはもう少し手が届きそうという身近な感情もあった。

車であれば軽自動車からトラックやバス、クーペやセダン、SUVなどたくさんの車種があるが、特にGT-Rには『鶏群の一鶴』と言えるような他の車にはない際立った存在感を感じたものだった。

ただ、若い頃には憧れるような車だった一方、実際に自分で所有して乗ろうというところまでには至らなかった。

高額な車には高額なランニングコストが必要ということも判ってきたし、スピードが出る車に乗るとスピードを出したくなるので、事故や違反のリスクもつきまとう。

GT-Rを買えるかもしれないという年頃になると、現実的に自分にとって必要な車種という選択をするようになってしまった。

良くも悪くも歳をとったということなのだろう。

それでもGT-Rの生産を続けてくれていたら、これから先々に購入意欲が目覚めるときがきたかもしれない。

実際にはこれからも中古車市場で買うこともできるとは思うが、きっとプレミアがついて、さらにかなり高額な価格で取引されることだろう。

今や個性を感じるような車が少なくなり、車種選びで自分の世界観を表現できるような時代ではなくなった。

これからの時代の車選びは燃費や自動運転、安全機能という競争軸になるのだろう。

車に強い憧れがあった昭和世代から考えると隔世の感がある。

『鶏群の一鶴』(けいぐんのいっかく)

レインボーブリッジ開通記念日に学ぶ『雨が降らなければ虹は出ない』

『雨が降らなければ虹は出ない』(No Rain, No Rainbow)

これはハワイに伝わることわざで、苦しいことや困難な経験、試練があってこそ、その後に美しい虹のような良いことが訪れるという意味を伝える。

1993年(平成5年)の今日、東京で東日本最大のつり橋「レインボーブリッジ」が開通した。

工事着工開始は工事の開始は開通6年前の1987年(昭和62年)のことだか、その当時芝浦近辺で働いていたのだが、建設風景は何一つ覚えていない。

個人的には実際にゆりかもめに乗ったりレインボーブリッジを首都高速で通過したのは開通からずっとずっと後だった。とにかく混んでいるのではないかという感覚がすぐに渡らなくてもという気持ちにさせたのだと思う。

ゆりかもめは日本で初の無人モノレールみたいな売り出しだったと思うが、芝浦での勤務を退職してからは全く縁がない土地となってしまい、暫く赴くことがなかったため関心も特に高くなかったことを覚えている。

それでもその後に、ゆりかもめや首都高速はもちろん、歩いて渡ることもできるため、職場のレクリエーションで歩こう会などを主催して何度もレインボーブリッジを渡ることになった。

特に首都高速で横浜方面から帰るときは、わざわざレインボーブリッジを渡るルートを選択して帰ったり、竹芝桟橋出発の周遊観光船に乗って外からレインボーブリッジを眺めたり、墨田川の屋形船で東京湾まで出てレインボーブリッジを見て帰ったりと、その美しい姿を何度も見てきた。

開通から32年。これまでもたくさんの人の往来を支えてきたレインボーブリッジ。

困難だったであろう建設工事や虹という言葉から、この『雨が降らなければ虹は出ない』(No Rain, No Rainbow)ということわざが本当に相応しく感じる。

映画『国宝』に学ぶ『柳に雪折れなし』

『柳に雪折れなし』

柳は枝がしなることで雪が積もっても枝が折れないことから、柔軟なものやしなやかなものが、堅いものよりもかえって厳しい環境や試練に耐えることができる、というたとえを意味することわざ。

映画『国宝』を観た。

ネタばれになってしまうので細かい感想を書くことは控えるが、映画全体を通して自分なりに今現在感じていること、学んだ教訓は『柳に雪折れなし』という生き方。

人にはそれぞれ生まれついた環境や宿命が違う。運命と言ってしまえばそれまでではなるが、運命で片づけてしまうと何となく自分では変えることができないという受け身の印象になってしまう。

確かに運命ではなるが、その宿命や環境を自分の中で受け入れて、そこから自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、自分には何ができるのか、自分は何か得意で何が不得意なのかを考え、実践して、修正していくことを積み重ねることで単に運命で変えることができないことではなく、乗り越え達成していくことができる生き方に変わる気がする。

ただ、そこにはまた人間それぞれに葛藤もある。

他の人の人生を歩むことはできず、他の人の人格になることもできないし、他の人の人生を体感することもできないし、他の人の思考を理解することもできない。

さらに芸の道やスポーツ、武道、競輪でも競馬でも囲碁でも将棋でも、その他至るところに競い合いがある。競い合えば勝つ人もいれば負ける人もいる。才能が豊かな人もいれば才能に乏しい人もいる。

そんな社会というところは自分一人で作り上げるものではなく、多くの見知らぬ大多数の人とともに築き上げるところになる。

ある程度理解できる他人もいれば、まったく理解できない他人もいる。そんな人たちと社会生活を送るとなると疲れもするし、競争による勝ち負けや嫉妬、妬み嫉みもある。

そこで、生き方の教訓として『柳に雪折れなし』というしなやかな思考が重要だ。

川の流れに身を任せるように、柳の枝のようにしなやかに、柔軟に振る舞うことで厳しい社会生活に枝が折られるようなことがない生き方ができると思う。

人はときに頑なに曲げない信念が必要で重要だと錯覚するときもあるが、心の中や気持ちは熱く強固でも、対人関係は『柳に雪折れなし』に学ぶ柳の枝のような生き方や振る舞い方を心がけたい。

『柳に雪折れなし』