ゲオHDがセカンドリテイリングへ社名変更に学ぶことわざ「西施の顰に倣う」

「西施の顰に倣う」(せいしのひそみにならう)

このことわざは、物事の善し悪しを考えずに、ただやみくもに人の真似をすること戒める意味がある。

由来は、中国春秋時代の美女、西施が胸の病で顔をしかめている姿が美しいと評判になり、それを醜い女が真似をしたという話から来ていて、他人の真似をすることの愚かさ、物事の本質を理解せずに表面だけを真似ることの危険性を教えてくれる。

ゲオと言えば、個人的にはレンタルビデオ店を想像するけど、今現在はセカンドストリートという古着なども含めた中古品のリユースなどの事業がかなり伸びているそうだ。

そこからのセカンドリテイリングなのだと思うが、もちろんユニクロのファーストリテイリングにあやかる意味も大きくあるだろう。

ユニクロがファーストなら我々はセカンドだと、世の中への宣言とも受け取れる。

それは良い相乗効果を生むと思うし、真似ることは成功への近道ともいえる。

ただし、生半可に表面だけを真似をしているだけだと「西施の顰に倣う」になってしまう。

ゲオHDという企業だから「西施の顰に倣う」ということわざも知っているだろうし、闇雲に社名をあやかるだけではなく少しでも企業として近づくべく、ユニクロやファーストリテイリングへのリスペクトを持って事業を飛躍させていくだろう。

そんなゲオHDのアイディアと挑戦に敬意を表したい。自分も自分なりの環境の中で優れた人には敬意を持って真似ていこう!

「西施の顰に倣う」

日米関税交渉合意に学ぶことわざ「死中に活を求める」

「死中に活を求める」

このことわざの意味は、助かる見込みのない絶望的な状況でも、なお助かる道を探すこと。難局を打開するために危険な状況に立ち向かっていくこと。

数か月前から交渉が続いていた日米関税交渉が一定の合意に達したらしい。

25%の関税という日本経済にとって絶望的ともいえる高い関税が8月1日にも発効する直前になって、とりあえずは15%という関税率で交渉がまとまったということだ。

この数字がもたらす影響がどれほどなのか、私たち庶民には体感できない。25%よりはマシだけどくらいの認識だ。

それにしても、新聞各社の論調などを見ると、元々はトランプ大統領の言いがかりとも言えるような関税の押し付けから事は始まっている。

それに各国は対応するしかないという一方的な力技の押し付けは、アメリカという超大国が行うことなのだろうか?

もちろん、私たちには知らされることのない高度な政治的判断などがいくつも折り重なっての交渉なのだろう。

だから、我々一般庶民に「関税交渉が15%で合意」などとだけ報じられても、「ふーん、それはお疲れ様でした」くらいの感想にしかならない。

先日の参院選の結果を受けての国内政治の混乱、消費税、社会保障、少子化高齢化、外国人問題、記録的な猛暑酷暑、様々な国内問題が乱立する中でも答えを出すことができない政治に我々国民は失望するばかり。

政治や行政に甘えることなく、自分で自分の生活を守ることで必死になる。それはそれで、我々一般庶民が「死中に活を求める」ということだろう。

みんな誰しも自分の人生にはそれぞれなりの課題がある。それは果てしなく難しい課題で、その課題が解消することはいつまでもないけれど、難局を打開するために危険な状況に立ち向かっていこう!

「死中に活を求める」

ロッキング・オン創設者渋谷陽一さん訃報に学ぶ四字熟語「神韻縹緲」

「神韻縹緲」(しんいんひょうびょう)

この四字熟語は、芸術作品が持つ奥深い味わいのことや、詩文などに極めて優れた趣きがあることを意味している。

まさに渋谷陽一さんのような文筆に秀でた人にも当てはまる四字熟語だろう。

ロッキング・オンという音楽誌を創設した渋谷陽一さんがお亡くなりになったそうだ。

ロッキング・オンという雑誌を愛読していたわけではないが、日本の音楽関係に広く精通されていた渋谷さんなので、私もその名前を何度も耳にしたことがある。

特に印象的だった記憶は、もう20年以上前だと思うが浜田省吾さんの全国ツアーに帯同して、浜田省吾さんに関して出版された本を読んだことだ。

いろいろな角度から浜田省吾さんについて書かれていて、サングラスがトレードマークで、あまりメディアに露出しない浜田省吾さんの人となりなどが詳しく記述されていたので興味深く拝読させて頂いた。

その書き方や表現、様々な面からも渋谷陽一さんの文芸の才能も垣間見ることができる著書だった。「神韻縹緲」を感じる一冊だった。

その渋谷陽一さんもお亡くなりになった。こうして昭和の音楽史がまた一ページ一ページ閉じられていき、やがて平成時代から令和時代へと変遷していくことになる。

昭和の音楽としては、演歌からGSやアイドル、そしてジャニーズなど、令和の今から考えると明るい面・暗い面とあるだろう。

社会全体に活気があったと同時に、表裏一体としてパワハラやモラハラなども混在している時代だった。

それを今の価値観で見て良い悪いと簡単に白黒を割り切ることはできないが、今の令和時代にも続く音楽や芸術が次々と開花した華やかさがあった。

こうして何となく独り言の文章を書く身としても、渋谷陽一さんのような「神韻縹緲」な文章が書けるようになりたいと、これからも文章を書く練習を続けようと心に決めた一日の始まりだ。

「神韻縹緲」(しんいんひょうびょう)

残クレ自動車ローンに学ぶ四字熟語「辺幅修飾」

「辺幅修飾」(へんぷくしゅうしょく)

最近知った言葉に「残クレ」がある。SNSでは特定の車のことも含めて歌もあるらしく、プチバズりしているようだ。

この「残クレ」という言葉は「残価設定型クレジット」という自動車ローンのことを言うらしく、要するに自動車ローンを特定の段階で残った残価とローンを相殺できるような仕組みだそうだ。

使う方は上手に使えばそれなりの高級車にローンを支払いながら乗ることができて、車の状態さえ維持できれば最後に返却することで残ったローンを償却できるらしい。

今回はこのこと聞いて「辺幅修飾」(へんぷくしゅうしょく)という四字熟語を学んだ。

この四字熟語の意味は、外見をつくろうことやうわべを飾り立てて見栄を張ることを表している。

「辺幅」というのは布地の縁のこと、「修飾」はつくろい飾ること。布の縁を縫ってほころばないようにすることから、外見を取り繕ったり飾り立てたりして見栄を張ることを表す意味となる。

残クレなどという仕組みを使ってまでも高級車に乗る必要があるのか?当初はそれは見栄を張るということで、地に足の着いた賢い支出ではないと感じていた。

しかし、よく考えると違法な仕組みではないし、ニーズや需要があり、一定の経済を循環させるために貢献しているという側面もあるような気がしてきた。

自分自身は決して利用することはないと思うが、そんな車選びもあって良いのかもしれない。

そして、残クレで乗った車とその経験から何かを学び、以後に自分の価値観の優先順位を考えるきっかけにすれば良いのではないだろうか。

お金の使い方も美学も価値観も人それぞれ。

ただし、支払いの継続が無理なローンを組んだり、事故やトラブルで残価と車の価値が釣り合わなくなってしまったときに借金をしなくてはいけないようになったときは、それはただの「辺幅修飾」だったということになるだろう。

消費者金融の最近のCMに「お金は使わなければ減らない」というキャッチコピーがあり、個人的には示唆に富んでいると感じて非常に気に入っている。

「辺幅修飾」(へんぷくしゅうしょく)

豊昇龍名古屋場所も途中休場に学ぶ「月に叢雲花に風」

「月に叢雲花に風」(つきにむらくも、はなにかぜ)

横綱豊昇龍が2025年7月の名古屋場所も五日目から途中休場することになった。四日目までに一勝三敗で三日連続での金星供給という状況だった。

そして、この「月に叢雲花に風」ということわざの意味は、美しい月を見るには雲が邪魔をすることがあり、花見をしようとすれば風で花が散ってしまうことがある。そこから何事も良いことばかりではなく邪魔が入ったり何だりで思う通りにはならないことを表している。

豊昇龍は個人的には好きな力士だ。

朝青龍という良くも悪くも勢いがあった叔父さんの甥っ子というプレッシャーを乗り越えて横綱を掴んだのは素晴らしい。

ただ、ちょうど照ノ富士が引退を発表して、横綱が空位になることを避けるために今ひとつの成績だった豊昇龍が横綱に引き上げられた経緯に違和感がある人が多いこともよく解る。

でも、力士なら必ず目指すであろう横綱に指がかかるチャンスはなかなかないし、相撲協会の事情に関わらずそのチャンスが巡ってきたのであれば逃すべきではないと思う。

そして、今回のように「月に叢雲花に風」で自分の思うようになることばかりではなく、横綱になればなったでその苦労と挑戦はずっと続くものである。

日頃の稽古ではみんな遠慮して強く当たってこないだろうが、本場所になればみんな喰ってやろうという意気込みで本気でぶつかってくることに戸惑いもあるだろう。

その苦労と葛藤は豊昇龍本人以外実感として体感できる者はいない。本人が良いことも悪いことも全て自分で受け止めていることだ。

だから、ぜひ次の九月場所には捲土重来で優勝に絡むような活躍ができるように体を整えて欲しい。

その昔の時代から、人間社会や世の中は自分の思い通りにはいかないものだと故事・ことわざ・四字熟語が教えてくれている。

「月に叢雲花に風」だと思って、必要以上にプレッシャーを感じずに土俵に戻ってきて欲しい。

いよいよ梅雨明けしそうな今こそ「晴好雨奇」

「晴好雨奇」(せいこううき)

今日は朝から雨がパラつく天気だけど徐々に雲の合間から青空が見え始めた。

天気予報によると明日からは晴れて気温も35度前後の猛暑が続くらしい。

いよいよ梅雨明けの時期だろう。

「晴好雨奇」四字熟語の意味は、晴れでも雨でも自然の景色にはそれぞれ趣きがあり、景勝地では眺めも素晴らしいということ。

「奇」という字は普通とは違って優れているという意味で使われている。中国の名勝として知られる西湖の美しさを東地出身の美女西施になぞらえた詩からきているそうだ。

個人的には雨は全然嫌いではないが、この時期の湿度の高さには閉口する。常にサウナにでも入っているかと感じるくらい生暖かい空気が体力をジワジワと奪っていく。

それでも晴れには晴れの良さ、雨には雨の良さもあるし、特に農作物にとって雨は欠かせない。

もちろん人の生活にも飲み水としての雨が降らなければ困ってしまう。

これらの感覚や「晴好雨奇」という言葉から学ぶべきことは、やはり日々の天候や自然に感謝しながら前向きに日々を楽しもうとポジティブに受け入れるマインドが大切ということだ。

ただし、天気や気圧が悪いと体の調子が上がらない日を体感することも事実。だから無理やり「楽しい楽しい」と思わずとも、その日の体調なりに日々のベストを尽くすという気持ちでいればいいことだろう。

年間を通じて「今日は体調がいい」なんて感じる日の方が圧倒的に少ないというか、「今日は調子悪い」と感じることが日常で、体調が良く感じる日は年に数日あるかないかだ。

だからこそ、体調の変化や体調の上下にあまり左右されないように、自分なりに生活のリズムを整えて過ごすことが重要だろう。

明日からは本当に夏に突入だ。盛夏を乗り切れるように「晴好雨奇」を楽しみながら一日一日を大切にしよう。