海外旅行減少に学ぶことわざ「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さや深さを知る」

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さや深さを知る」

「井の中の蛙大海を知らず」というメジャーなことわざの意味は、自分の狭い知識や経験にとらわれて、他に広い世界があることを知らない人のことを皮肉るような感じがある。

ただそれに、「されど空の青さや深さを知る」という後半が加わることで、狭い世界しか知らないかもしれないけれど、その中で一つのことを深く極めることで、得られる深い知識や見識もあるという意味になる。

新聞やメディアで海外旅行者の減少に警鐘を鳴らしている。パスポート保有者も減っているしパスポートの発行数も減っているそうだ。

私自身が若いころ、友人が海外旅行から帰ってきた話を目を丸くしながら聞き入り、自分の行きたいと親に無理を行って行かせてもらったことがあった。

私たちが暮らしている日常とはまるで違う非現実的な環境で暮らす人たちがいる。それを実際に見たことは非常に貴重な経験だった。

しかし、それだけと言えばそれだけのこと。「百聞は一見に如かず」ということわざにもあるように、確かにテレビや映画で見たところを実際に訪れたときには非常に興奮した。

でも、結局自分自身はそこから何かを学ぶとか吸収するという領域までにはいきつかなかった。

だから、自分の子供や家族にも必要以上に海外も含めて旅行ということを積極的に勧める気はしない。

高いお金と時間をかけてわざわざ海外までいかなくても、日々暮らす環境からほんの電車で2つ隣の駅で降りるだけでまったく景色が違って見える。

車で30分も走れば異次元のような場所もある。1時間2時も車で間走ったら本当の小旅行だ。

旅行なら国内でも行ったことがない県の方が多い。

例えば、歴史・文化などについて、海外でなくても国内や近隣の市町村に学んだって良いはずだ。

海外でなければ面白くないとか学べないという思い込みと価値観の押し付けが逆に学べる意識を下げているのではないか。

井の中の蛙は大海は知らないかもしれない。大海があることすら知らないかもしれない。

でも、空の深さや青さという自分にとっての現実を知り、そこに価値を見出すことを大切にすれば、大海を知ることに匹敵する学びがあるはずだろう。

私は大海を知らなくても空の深さや青さを知ることが教養深い人間だと思うし、そんな大人に私はなりたい。

「井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さや深さを知る」

石破首相の手の甲カンペに学ぶことわざ「泥を打てば面へはねる」

「泥を打てば面へはねる」

このことわざの意味は、人に害を加えたり非難したりすると、かならず自分にはねかえってくるということ。

石破首相が来週投開票の参院選応援演説で手の甲にびっしりとカンペを書いていたことがSNSでの話題となっている。

個人的に石破さんの語り口はあまり好きではないが、このような努力を笑ったり貶めたりすることには違和感がある。

そもそも選挙の応援演説は、知名度が高くて当選圏内の候補者に首相がわざわざ行かなくても良いはずだ。

知名度が低い候補者を何とか当選させようとどこの党も幹部が応援に行く。

だから、どの地域に行ってもほとんど面識がなく、名前も経歴も判らない候補者について演説するわけだし、万一名前を呼び間違えたりしたら大変失礼なことになる。

だからこそ、間違うことがないような準備をしっかりとしていたということは、逆に格好の良いことだし好感度が上がってもいいことだと思う。

それを「みっともない」とか「勉強不足」とか「格好悪い」と貶めることには同感できない。

日本で一番忙しい立場にいる人が次から次へを移動を重ねながら話をするのに、名前から経歴などを手の甲にメモしておくということは、ある程度しっかりと備えていることことの証左だ。

石破首相をあまり好きというわけではない私もそこは認める。

それに、手の甲メモを貶めるような泥を打つ人たちには、逆に自分自身にもその泥が跳ねかえってくることだろう。

私も人の努力は認めてもその努力を貶めて泥を打つような人間にはならないように気を付けたい。

「泥を打てば面へはねる」

ブルーインパルスに感じる違和感に学ぶ四字熟語「表裏一体」

「表裏一体」

この四字熟語の意味は、一見すると対立するようにも見える二つのものが実際には密接に結びついていて、切り離せない関係にあることを表す。

現在開催されている大阪・関西万博の初日に飛行するはずだったブルーインパルスが天候不良だったために昨日と今日、改めて万博会場の上空を飛行するそうだ。

ブルーインパルスに関する報道を見ているといつも矛盾を感じる。

ブルーインパルスも戦闘機なんだから戦争のための道具であり、戦争のための組織であり、いざというときには何らかの形で国を守るための訓練の一環としてのブルーインパルスであるはずだ。

だけど、ブルーインパルスに関しては世の中が極めて好意的に報じる。

自分自身は入間基地の航空祭なども見に行くし、やはりブルーインパルスを始めとする航空機を見たり、飛行する際の轟音を聞くと興奮してくるくらい大好きだ。

だから、この社会に戦争を彷彿させる何かがあっても必要以上に戦争反対とか平和が脅かされると声を上げるつもりはない。

いつも「この国が戦争に向かわないように」などと声高に叫んでいる人たちはブルーインパルスに関する報道をどのように見るのだろうか?

ブルーインパルスも原子力発電も自衛隊も全部一緒くたにするつもりはないが、とにかくブルーインパルスも国防も様々なことは社会において切り離すことができない「表裏一体」の存在なのではないだろうか?

戦争も平和も表裏一体、秩序も混乱も表裏一体。それが社会というところではないだろうか?

「表裏一体」

新聞配達の方がクマに襲われ死亡に学ぶことわざ「浅い川も深く渡れ」

「浅い川も深く渡れ」

このことわざの意味は、たとえ浅く見える川でもどんな危険があるか分からないから、深い川を渡る気持ちが大切ということ。日常の何でもないところでも用心が必要だと油断を戒めることわざ。

それにしても毎日毎日の仕事である新聞配達中にクマに襲われるなど想定できるものではなかっただろう。心からのご冥福を祈りたい。

日々真面目に新聞配達に取り組んで、このような事故に遭遇してしまうとはさぞかし無念だろう。

都市部に住んでいれば、日常的に車の事故や隣人とのトラブル、無差別の人を狙う犯罪や特殊詐欺などの危険性が高い。

それが不安で郊外に住む方もいるかもしれないが、地方に行けば行ったでクマに対しても備えなければならない。

結局はどこに行っても日常の備えは欠かすことができないという教訓だ。

事故や事件に限らず、家の敷居を一歩またいだら気を抜くなという教訓もあるし、家の中にいても熱中症や詐欺電話に強盗が押し入る可能性もゼロではない。

人生を過ごすということ自体が、日々どのように自分の生活を守るかという課題の連続だ。

朝目が覚めて、仕事に行って、時間が経って夜には帰宅してお風呂に入って布団に入る。これが当たり前のようだが、油断していてはその当たり前が当たり前でなくなるときがくるかもしれない。

浅い川も深く渡ろう。

セブンイレブンの日に学ぶ四字熟語「櫛風沐雨」

「櫛風沐雨」(しっぷうもくう)

今日は7月11日という日付からセブンイレブンの日でもあるようだ。

そして、このことわざの意味は、風雨にさらされて苦労すること、さまざまな苦労をすることのたとえ。

セブンイレブンが開業したのは1974年5月15日。東京の豊洲に第一号店ができたそうだ。

私自身も10歳にならないころで、テレビコマーシャルを打ち出しのはもう少し経過してからだろうが、そのコマーシャルを見たことは覚えている。

「開いてて良かった!」がキャッチコピーだった。

当時の社会情勢としては、酒屋や雑貨やなどのお店も早くて10時開店くらいだったので、何か必要な物を買いに行くのもその時間帯を待たなくてはならなかった。

そして、飲み物なら酒屋か乾物屋など、パンはパン屋、文房具は文房具屋、電気関係は電気屋などといくつものお店を回らなくてはならなかったし、おにぎりなどは自分の家で作るもので買う物ではなかった。

それがこの半世紀くらいの間に本当にコンビニのお陰様で世の中が変わったと言って差し支えない。

一つの店舗で何でも売っているし、それが24時間営業してくれている。公共料金も24時間支払えるし宅配の荷物も送れる。

私たちが感謝しなくてはならないのは、これだけ便利になっている過程においてコンビニ各社が本当に様々な努力を積み上げてくれていることだ。

櫛風沐雨という言葉にあるように、風に髪の毛がとかされるような、雨に髪を洗うような苦労を乗り越えてきてくれたはずだ。

その企業努力の恩恵を被って私たちの生活は便利になっている。

加えて言えば、コンビニで働いてくれている方々にも感謝の気持ちを忘れたくない。

24時間の営業を守り、常に進化する商品とお店の運営をキャッチアップするのは本当に大変だろう。

これからもどんどん進化するコンビニの企業努力と携わる経営者や従業員の方々のお蔭で今日の日本のライフスタイルが保てていることにに感謝する一日にしたい。

「櫛風沐雨」

猛暑に外で働く人々すべてに贈る四字熟語「報恩謝徳」

「報恩謝徳」(ほうおんしゃとく)

「報恩謝徳」とは、受けた恩に対して、感謝の気持ちを持ち、それに見合う行動で報いること。

この猛暑・酷暑の中で外で働かなくてはいけない方々がいる。誰だってエアコンの効いた屋内で過ごしたい。

でも仕事の種類によっては当然ながらそんなわけにはいかない。

ちょっと考えただけでも、物流の方々、建築・建設・公共工事現場の方々、道路通行整備の方々、測量の方々、農家・畜産・漁業の方々、その他にもありとあらゆるところに外で働いてくれる方々がいらっしゃる。

仕事に貴賤はないためどこ仕事が上とか下とかではなく、お互いに感謝と敬意を持つことで社会がより気持ちよく成り立つと思う。

そして、その感謝を何かしら自分の行動で報いる気持ちを持つことで、良心の循環を生むことができるのではないだろうか。

社会生活はまず自分が自立と自律で成り立たせることが第一だけど、成長することによって視野が広くなり自分だけで社会が成り立っているわけではないことに気付く。

そこに気付くと自然とお互いに感謝と敬意の気持ちを持つことが大切なんだと理解できる。

世の中の人々にありがとう。外で働く人も屋内で働く人もすべての人がいるから社会が成り立つ。

今日も社会に自分なりにできる行動で少しでも報います。

「報恩謝徳」