大相撲万博場所に学ぶ四字熟語「唯一無二」

「唯一無二」

大相撲名古屋場所が終わってからわずか一週間後ではあるが、現在開催中の大阪・関西万博で夏巡業としての大相撲万博場所が行われたらしい。

万博というイベントだから海外からの旅行者も多い中で、見学に行けた人たちには非常にラッキーな機会だっただろう。

そして、「唯一無二」といえば横綱大の里が横綱昇進の伝達式の際に口上で述べた挨拶に使われた四字熟語だ。

「唯一無二」には、この世でただ一つのもの、ただ一つ絶対で他に同じものはないという意味がある。「唯一」と「無二」はどちらもにただ一つしかない、ほかには二つとないという意味があって、その同義語を重ねて意味を強調する四字熟語の構成になっている。

名古屋場所では残念ながら優勝争いには加われなかったものの、大の里は横綱として圧倒的な存在感を放っていた。途中から豊昇龍も休場してしまったので、一人横綱としての重圧も大きかっただろう。

そして、大の里が口にすると説得力があるが、私たちだって一人一人は「唯一無二」の存在だ。

仕事や何か組織的には代わりはいくらでもいるかもしれないけれど、家族や友人という枠組みで考えれば、誰だって一人一人「唯一無二」だ。

だから自分自身に誇りをもって、自分という存在を世の中の役に立つように、それによって自分自身もより成長できるような循環にしていきたい。

一人一人は本当に小さな小さな存在だ。だけど、自分という存在は他に二人はいない。だから、知名度があろうとなかろうとそんなこと関係ない。

みんな「唯一無二」であるからこそ、お互いに敬意を持つことも忘れたくない。やっている仕事の違いはあっても、そこに軽重や貴賤はないはずだ。

世の中みんな「唯一無二」という意識で過ごし、だからといって自分も人を虐げず妬まず嫉まず、自分を世の中の役に立てて、それによって生活が成り立っていくように努めたい。

まだ今のところ大阪関西万博には行ってないし行く予定もないけれど、大相撲万博場所が開催されたというニュースを聞いて、「唯一無二」という四字熟語を考察してみた。

「唯一無二」

七月に大災害が起きなかったことに学ぶことわざ「一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う」

「一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う」

群衆は暗示にかかりやすくて、一人が異常な行動をとると他の人もそれにつられて大きな混乱が生じやすいという例え。

八月に入ったことで「七月に大災害が起きる」という予言とも流説ともとれるような話は単なる噂だと証明された。

個人的に、そんな話が広まっていると聞いたのが七月に入ってからだったので、気に留めることもなかったが、一部の人は心のどこかで警戒していたかもしれない。

事実、香港からだか台湾からだかの観光客は、日本では七月に災害が起きるかもしれないという噂を聞いて旅行を控えたため、今年七月の日本への来日観光客は一時的に減少したそうだ。

「一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う」ように、一人の人が七月は日本への旅行は差し控えようと言い出すと他の人にも波及することがあるという、このことわざの通りの現象だった。

人間の心はどこかでいつも不安とか恐怖とか危険回避、安全優先という意思が働いている。だから、一人の人の行いが時と場合によっては他の人にも伝染して混乱が広がってしまう場合がある。

今のSNS時代は真偽不明の情報も多数発信されて、本当に何を信じたら良いのか判り難い。自分の判断が正しいのか安全なのか確証がないため、他の人の行動を判断基準にしてしまうこともある。

だから、まずは人間の心理はそのように頼りないものだと理解して、昔から「一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う」ということわざがあるように、群集心理にできるだけ左右されないような心構えを持っておこう。

最終的には自分の安全は自分で確保するしかない。また、自分の安全を確保するという自助を優先しつつ、共助や公助という次のステップなども意識すると良いだろう。

「一匹の馬が狂えば千匹の馬も狂う」

女性トイレ不足問題に学ぶ四字熟語「着眼大局」

「着眼大局」(ちゃくがんたいきょく)

この四字熟語は、物事を広大な視野で全体的にとらて、その本質や要点を誤らないように見抜くことという意味がある。

「着眼」は、目のつけどころや着目点。「大局」は、物事の全体としての動きやなりゆきという意味の熟語で、それらを組み合わせた建付けの四字熟語になっている。

最近、男性トイレに比べて女性トイレが少ないという議論を聞くことがある。この問題は最近起こってきた話ではなく、私などが子供のころから頻繁に目にする現象だと思う。

昔は特に印象的に覚えている光景としては、高速道路のサービスエリアのトイレや映画館のトイレなどに女性がトイレの行列待ちをしていたところ。

今はその頃に比べればかなり緩和されたとは思うが、それでもやはり女性トイレは行列ができる傾向は変わらないと思う。

だからといって、男性側が恵まれているかと言えば、個室トイレ待ちする男性はとても切実だと思う。

自然の摂理を極限まで我慢しつつ、辛抱強く個室トイレが空くのを待つ心境は女性には逆になかなか伝わらないかもしれない。

だから、そもそもトイレスペース問題は男性と女性を比べるということが大局的ではない。男性にも女性にもそれぞれ別の問題があるからだ。

男性スペースを狭くして女性スペースを広げれば解決するわけでもない。そもそも、トイレは生産的なスペースではないから施設側からすれば少しでも狭く済ませたいのも実情だろう。

個人的には、スペースを広げるという議論ではなく、「行列待ちができそうなときには少しでもお互いに配慮して回転を良くしましょう」という呼びかけが効果的だと思う。

以前から公共トイレを綺麗に使えない人は好きではない。自分の家のトイレならともかく、公共のトイレは誰かが掃除してくれているのだ。

その事実に感謝してまずは綺麗に使う。そして、次の人のため無理なく可能な限り時間を短縮する。そんな気遣いがトイレ問題を緩和させてくれるマナーということだ。

そこには触れず、単にトイレ数やスペースが足りないという議論は「着眼大局」ではない。

本当に大切なことや現状を少しでもより良くするには何が必要かを考えつつ、施設において許せる範囲でトイレや休憩スペースを拡充することが優先的な順位付けなのではないだろうか。

このような事例はトイレ問題に限らず、物事を「着眼大局」に考える大切な習慣にできるだろう。

「着眼大局」

七月最終日に学ぶことわざ「月日に関守なし」

「月日に関守なし」(つきひにせきもりなし)

このことわざは、月日が経つのは非常に早いことの例え。「光陰矢の如し」とか「歳月人を待たず」と同じ類のことわざ。

月日という動きを取り締まれる者はいないということだろう。

今日で2025年の7月も最終日。明日からは8月で子供たちの夏休みも本格的になる一方、暑さもピークの時期だしこの週末は台風も関東に近づく恐れがある。

昨日のカムチャッカ半島近くの大地震といい週末の台風といい、昨日は兵庫県の丹後で観測史上で最も暑い42.1度が記録されるとか、もう自然の摂理には人間は太刀打ちできない。

この暑さも台風もその時期が去ってくれるのを静かに待つしかない。

とはいえ、暑さも台風も事前に準備できることはあるし、地震は備えられなくても災害への対策を行うことはできる。

ただ座して待つのではなく、自分にできる準備を行っておくことが大切。その対策や準備を上回るような想定外のことが起きてしまった場合は仕方ない。

月日が経つのは誰にも止められない。だけど、その日その日をできる限り充実させて過ごすように心がけることはできる。

いたずらに時間を過ごしてしまうのではなく、何歳になっても自分にできることで無理なく何かに挑戦したり活動したりすることはできるはず。

自分自身も「尊敬・感謝・必死」を大切に、周囲の人を尊敬して、社会に感謝して、自分は必死に生きる。

「月日に関守なし」をネガティブな感覚の言葉としてとらえずに、月日が経つのは早いから日々を「尊敬・感謝・必死」に生きることが大切というポジティブな感覚でとらえたい。

「月日に関守なし」

2025年7月30日津波警報に学ぶ四字熟語「長汀曲浦」

「長汀曲浦」(ちょうていきょくほ)

「汀」は渚や水際など陸と水が接するところや波打ち際を意味する。「浦」は浜辺や湾など長く続く水際と曲がりくねるような湾のことを指して、海岸線や海辺が延々と続いていることを表す四字熟語。

先ほど、カムチャッカ半島で起きた地震による影響で日本列島太平洋側で広く津波警報が発令された。

最初はマグネチュード8ぐらいと推定され津波注意報だったが、マグネチュード8.7と修正されたために注意報から警報へと警戒から即非難へと体制が変更になった。

日本は島国で「長汀曲浦」なので、警報も北海道から和歌山辺りまでが警報の対象地域となっている。

「長汀曲浦」という言葉の意味からは何となく風光明媚的な感覚も漂うが、まさに島国の日本は海に囲まれているため津波が起こる可能性が高まると警戒しなければならないエリアも広くなる。

現在は、JRの東海道線や江ノ電なども一時運休となった模様だ。

とにかく、まずは震源地近い地域に住む方々の被害がないことを祈るとともに、津波の被害も警戒を超えないことを祈る。

そして、このような機会にしっかりと警戒や避難を行うという習慣を身に付けるためにも対象の地域では甘くみずに行動を起こして欲しい。

ただ、この夏休みの時期に海や川にレジャーに行っている方も多いだろうから、混乱などが起こらないよう各自治体には広く広報や注意の呼び掛けに努めてもらいたいものだ。

自分がいる場所が揺れなければこのような警報を受信するのは難しいかもしれないが、我々が住む日本という島国の宿命と考えて、このようなケースも自分の経験値の一つに積み重ねていきたい。

注意と警戒を怠らない「長汀曲浦」の国にしよう!

イチローさん米国野球殿堂入りに学ぶことわざ「玉磨かざれば光なし」

「玉磨かざれば光なし」

どんなに立派な玉(宝石)でも、原石のままでは光らない。そこから転じて、どんなに優れた素質や才能があっても努力して修養して磨かなければ、立派な成績や結果を出すことはできないということ。

今回日本字として初めて米国の野球殿堂入りを果たしたイチローさんが努力の人ということは知れ渡っている。

試合がある日は、朝目が覚めたときから朝食、球場入り、ウォーミングアップ、打席に入るとき、守備につくとき、何から何まで自分なりのルーティンがあったそうだ。

それを頑なに守ることによって、自分の体調のちょっとした変化なども気付いて修正した。

それは何よりも試合で結果を出すため、観客にその日の最高のプレーを見せるために自分に課す自分なりの課題ということだ。

もちろん、プロに入る以前からも練習の虫であり、日本のプロ野球に入ったときからも試合後も暴飲暴食せずにクールダウンや筋力トレーニングに励んでいたと聞く。

それだけやっても十分ということはなく、完璧ということもない。

結果が出るときもあれば、結果が出なかったりミスが出るときもある。それを積み重ねて経験値を上げていくのがプロであり大人ということなのだろう。

そんなイチローさんという人に憧れる人は多いと思うが、漠然と憧れるだけでは自分の身につかない。

我々はイチローさんのような宝石の原石でもないし、磨いてもイチローさんのように光るわけでもない。

でもイチローさんのようなお手本から何を学びどんな行動にするのか。頭で考えることが大切だけど、考えるだけでなく実際に行動に移し、それを継続しながら改善していくことが大切だ。

自分なりの光が出せるように今日も頑張ろう!

「玉磨かざれば光なし」