今日のことわざ「挨拶は時の氏神」

「挨拶は時の氏神」

このことわざの「挨拶」は仲裁のことを意味する。

誰かと喧嘩している場合は口論などを仲裁してくれる人は、ありがたい氏神様と同じであるという意味。

だから仲裁人が取り計らってくれる調停にはできるだけ速やかに従う方が賢明という教え。

振り上げた拳はなかなか自分で降ろすことはことはできない。
そんなときに第三者が仲裁してくれるということはとてもありがたいことで、それをないがしろにしてはいけない。

喧嘩や諍いを収めるのはタイミングがとても大切。そしてそのタイミングは非常に難しい。

そんなときに現れてくれる仲裁人という存在は本当にありがたいだろう。

時としてそんな仲裁人の呼びかけを感情的に否定してしまいそうになるが、それは賢くない人がやること。

賢い人はどこでどのように和解をすれば落としどころというか着地できるかを冷静に考えるものだ。

それを考えることができるか、できないか。またはそんな仲裁人が現れてくれるか、くれないか。

それは非常に大きな分かれ道になるだろう。

「挨拶は時の氏神」をよく覚えておこう。

今日の四字熟語「愛別離苦」

「愛別離苦」

仏教用語で四苦八苦の「八苦」の一つで、親子や夫婦など親しい者と別れる悲しみや苦しみを意味する。

四苦八苦の「四苦」とは、生・老・病・死の四つの苦しみ。

四苦八苦とは、四苦の生・老・病・死に愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦を合わせて四苦八苦という。

人間の苦しみは仏陀の時期から何も変わらない。生まれることも老いることも病気になることも死ぬこともみんな苦しみだし避けることはできない。

そして、愛する者と別れることも、会いたくない人に会ってしまうことも、欲しいものを得られないことも、体が元気だから逆に苦しみを感じる時期があることも、人間として生まれたからには避けられないし誰もが必ず体験することだ。

だから、親しい者と別れることがあったときも、その時は心の底から哀しいし苦しいけれど、必ずその感情が落ち着いて癒えてくるときがくる。

そんな時期がくるまではそっと愛する者に心を馳せながら時間を費やすことが一番の薬になるだろう。

太古の昔から人間の悲しみや苦しみの種類は変わっていないということが四苦八苦という言葉に凝縮されている。

できるだけその苦しみは体験したくはないけれど、避けて通ることはできないという心構えだけはしておこう。

「愛別離苦」

今日のことわざ「お祈りは唱えても、櫂の手は休めるな」

「お祈りは唱えても、櫂の手は休めるな」

「櫂」とは船を漕ぐときに使うオールのこと。

神だのみだけではなく自分自身も行動して汗をかかなければならないというロシアのことわざ。

船が沖に流されてしまったときに神にお祈りしても助かるわけではなく、お祈りすると同時に自分自身も岸に向かって船を漕がなければ溺れてしまう。

ロシア人は信仰に篤いらしいが、結局最後は自分しか頼れないということや自己責任という冷静な面もあるらしい。

私たち日本にも「困ったときの神だのみ」ということわざがあるが、やはり神様にお祈りしているだけで事態が勝手に好転するようなことはない。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉のように、自分にできることはやり尽くした上で結果は神様次第という心持ちが大切なのだと思う。

それでも世の中は自分の努力だけでどうにかなることばかりではないため、神様に祈りたくなる気持ちも解る。

努力すれば必ず良い結果が出るとも限らない。

時として結果は悲しいほど残酷なこともある。

けれど、尽くした努力は決して裏切らない。そのときには良い結果に結びつかなくても必ず自分の経験値となって何かしらの結果に表れる。

「お祈りは唱えても、櫂の手は休めるな」

今日の四字熟語「相碁井目」

「相碁井目」(あいごせいもく)

何事においても実力には違いがあるということを囲碁に関する言葉で表す四字熟語。

「相碁」とは実力の差がない者同士で打つ碁のこと。「井目」とは弱い方が碁盤上にあらかじめ先に石を9個置いてから対戦すること。

どんなことでも実力を上げようとするならば、投下時間×集中力だと思う。

プロになるということや何か大きな大会で優勝するという高い目標を達成しようとするならば元々の才能が左右することがあるかもしれない。

ただ、それぞれの種目や競技を楽しめるレベルということであれば、ある程度の投下時間をかけて集中して練習や経験を積めば、必ず誰でもたどり着けると思う。

結局のところ、多くの人にとって難しいのが継続すること。続けることが難しい。

思うように上達しなかったり、他の人と自分を比べてしまってどうしても自分が見劣りするような感覚になってしまったりすると急にモチベーションも下がってしまったりする。

だから、大切なことは人と比べないこと。

比べるなら昨日の自分や先月、昨年の自分と比べることで、過去の自分と比べれば必ずどこかしらは進歩しているところが見つかるはず。

それが継続するコツだと思うし、その積み重ねがやがて「相碁井目」という言葉を実感できる日につながることだろう。

今日のことわざ「愛多ければ憎しみ至る」

「愛多ければ憎しみ至る」(あいおおければにくしみいたる)

人から愛を受けることが多ければ、その一方で必ず人から憎まれることも増える。特別な寵愛は身の破滅を招くことにもなりかねないから注意が必要という意味。

人は妬みや嫉みという本能を持つ。

隣りの田んぼは青く見えるし自分のことは過小評価する。

他人を羨ましく思うし嫉妬する。

そんな本能を持つ人間だから、自分にはないモノを持っている人に対しては時としてその人を憎むようにもなってしまう。

出る杭は打たれるという言葉にも通じる。

だから、賢い人は本当のことを言わない。本当にお金を持っている人はお金を持っているようなそぶりを見せない。お金を持っていない人は何とか自分を大きく見せようとブランド物に身を包む。

それを知っているから高級車やブランド物を持っている人を私は全然羨ましく思わない。

だって、私はお金では決して買えない宝物をたくさん持っているから高級品を持っている人に対して何の感情も湧いてこない。

愛多ければ憎しみ至る。

今日の四字熟語「合縁奇縁」

「合縁奇縁」とは、
人と人の交わりというものは、縁という不思議な力によるものであるということを意味する言葉。

だから自分の努力で良い縁を引き寄せられることもあるけど、自分の努力では如何ともしがたいこともある。

それもまた世の中である世の条理でもある。

幸運に恵まれることもあるし不運に見舞われることもある。

でもそのどちらもそのときで終わるものではなくいつでも途中経過だし、自分の受け止め方でその後にピンチをチャンスにひっくり返せることもある。

大切なことは、「他人を尊敬して、社会に感謝して、自分は必死に生きること」。その「尊敬・感謝・必死」が大切だし、それによって良縁を引き寄せられる可能性も生まれてくる。

合縁奇縁を大切にして、今日も誠実な気持ちで過ごす一日にしよう!