処暑に学ぶ『夏は日向を行け 冬は日陰を行け』

『夏は日向を行け 冬は日陰を行け』(なつはひなたをゆけ ふゆはひかげをゆけ)

2025年の今日8月23日は、「二十四節気」の一つ「処暑」にあたる。

「処暑」とは「暑さが止む」という意味で、「処」という漢字は音読みで「しょ」、訓読みで「ところ」などの読み方があるため、「その場にとどまる」や「一つの場所に落ち着く」などの意味を持つことから「処暑」で暑さがとどまるや落ち着くという意味になる。

とはいえ、今日も東京は最高気温36度の予想でまだまだ酷暑は収まらない。最近の日本各地の季節感は「二十四節気」の規格外だ。

朝晩も湿度が高くて寝苦しい夜が続くが、それでも少しずつ日の出が遅くなり日の入りが早くなっているを感じる。確実に秋は近づいている。

日中鳴いている蝉の声も弱弱しくなり、もうあと少しで力尽きる時期が来るのも予感させる。

さらに、今日は夏の全国高校野球大会の決勝戦。沖縄尚学対日大三校。どちらが勝っても死力を尽くす激戦になるだろう。夏の高校野球が終わると一気に夏の終わりの寂しさを感じるようになってくる。

夏の最盛期の高揚感と夏が終わるときの寂しさはコントラストを感じて、個人的には少し感傷的になるような季節だ。

8月もあと残り一週間あるので、まだ夏の終わりを感じるには少し早いけど、本当に寝苦しい夜と日中の湿度の高さには閉口させられるので、早く涼しくなって欲しいという気持ちとあともう少し夏という季節を楽しみたいという気持ちが半々に交錯して複雑だ。

まずは今日の「処暑」と次の二十四節気の「白露」の時期を目指して頑張ろう!

チンチン電車の日に学ぶ『越鳥南枝に巣くい胡馬北風に嘶く』

『越鳥南枝に巣くい胡馬北風に嘶く』(えっちょうなんしにすくい、こばとうふうにいななく)

このことわざは、故郷を恋しく思う気持ちを表す。

中国南部の越(えつ)の国から来た渡り鳥が、故郷をなつかしんで日当たりのよい南の枝に巣を作ったり、北方の胡(こ)の国の馬は北風が吹くと故郷を慕っていななき声をあげる、という故事に由来する。

1903年(明治36年)の今日、東京電車鉄道の路面電車が新橋~品川で営業を開始し、東京で初めて路面電車(チンチン電車)が走ったそうだ。

なぜ、路面電車で故郷を恋しく思う気持ちになるかというと、自分が幼いころには自宅近くの道路でも路面電車が走っていて、時折路面電車に乗って駅前の映画館で『ゴジラ』などの映画を観に連れて行ってもらったことを懐かしく思い出す。

道路の中央分離帯に路面電車の停留所があって、今で思えば歩いて行ける駅前まで路面電車で出かける外出が本当に遠出に思えた。

そして、『ゴジラ』の映画も本当にこんな怪獣だか恐竜だかみたいな生物が出てきたらどうしようと肝を冷やしながら観ていた。

その近くを走っていた路面電車もいつしか廃線になってしまった。

世の中はどんどん変化するけれど、今日のチンチン電車の日のような記念日に、近所を走っていた路面電車などふと幼い頃の街の風景を思い出すと、どことなく懐かしさや切なさやいろいろな気持ちが入り混じって少し複雑な心境になったりする。

南から来る鳥は南側に巣を作ったり、北から来た馬は北風に故郷を思っていななく『越鳥南枝に巣くい胡馬北風に嘶く』という故事・ことわざには人間の深い洞察力を感じる気がして、とても好きな言葉だ。

女子大生の日に学ぶ『進取果敢』

『進取果敢』(しんしゅかかん)

新しいことに積極的に挑戦し、果敢に物事に取り組むこと。
進んで新しいことに取り組み、果敢に挑戦すること。

8/21は女子大生の日。

1913年(大正2年)8月21日、東北帝国大学(現在の東北大学)が女子受験生3人の合格を発表し、日本初の女子大生が誕生した日ということから。

その3人は黒田チカ・牧田らく・丹下ウメ。黒田と丹下は化学科、牧田は数学科となる。黒田は日本初の女性化学者となった後にお茶の水女子大学名誉教授を務めた。

明治から大正になったばかりに女性が大学に進むということは、前例がない時代には非常に厳しいことだっただろうし、今からは想像できないほどの狭き門だったことだろう。

そんな時代にも新しいことに進んで取り組み、果敢に挑戦する女性がいた。

その人たちが開いてくれた道があってこそ、今の時代は女性も大学に進学することが普通になり、就職などでも男女の差がほとんどなくなっていると言える。

見本やお手本、前例などがあればいろいろな意味で参考になるが、前例がなければ自分の頭で考えて失敗や成功から学ぶしかなかったのは大変だっただろう。

さらに周囲の目や女性が大学で学ぶにはとても苦労されたことも多かったと拝察する。

だから、現代の恵まれた時代に生きる我々は先人に感謝しなければならないし、今の時代でも『進取果敢』の気持ちで新しいこと、今まで誰もやってないことに挑戦する気持ちを忘れてはいけない。

ネットやAIが何でも教えてくれる時代ではあるけれど、前例や正解がないことにこそ人間が挑戦していく価値がある。

隕石と見られる火球目撃に学ぶ『森羅万象』

『森羅万象』(しんらばんしょう)

森羅とは、木々が限りなく茂り並んでいる様子を表し、無数に存在するものや連なっているものを意味する。

万象とは、あらゆる事物、現象、万物、すべての形を意味する。

この二つの言葉を組み合わせることで、この宇宙に存在するすべてのもの、あらゆる現象、「天地間に存在するすべての事物・現象」を意味する言葉として使われるのが森羅万象。

昨夜、日本各地で隕石と見られる火球が目撃された。火球は度々目撃されることがあるけど、今回の火球はサイズが大きかったみたいだ。

隕石が飛んでくる元である宇宙は、私たちの予想しないところで動いていて常に変化している。

そして、宇宙のことを考えるとき、常に頭に浮かぶ言葉が『森羅万象』だ。

『森羅万象』という言葉は、仏教の経典である法句経に由来するとされていて、仏教思想の中で、広大な宇宙に存在するすべてのものを包括的に表す言葉として使われたそうだ。

仏教が確立された時期には現代のような科学が発達していなかったにも関わらず、宇宙で起こっていることと地球上で起こっていることを合わせるすべての事象現象を表現する言葉が作られたことに、昔の人の賢さを感じる。

隕石も気象も台風も地震も人間にコントロールする力はない。そこに無力さを感じるということではなく、世の中や社会、宇宙の大きさを感じ、自分の小ささを感じ、それでも自分自身は自分にできることを前向きに取り組んでいくことが大切だし、それしかできないという自覚とチャレンジ精神を共存させたいと感じる。

すべての『森羅万象』を司ることは神様以外には無理だけれど、そんな宇宙の果てしない広大さに敬意を持ち、同じ時期に地球で暮らす人々に感謝して、自分はできることを必死に取り組む。

それを思い出させてくれたのが、昨日の隕石・火球だった。

世界人道デーに学ぶ『人道は盈つるを悪みて謙を好む』

『人道は盈つるを悪みて謙を好む』 (じんどうは、みつるをにくみて、けんをこのむ)

「易経」の一節で、人道は驕り高ぶることを嫌い、謙虚な態度を好むという意味。人として、常に謙虚な姿勢を保つことの大切さを説いている言葉。

今日8/19は世界人道デー。

2003年(平成15年)の8/19、イラク・バグダッドの国連事務所本部がテロ爆撃を受け、22名の人道支援関係者が犠牲となり、100名以上が負傷するという痛ましい事件が起きたことから、2008年(平成20年)12月の国連総会で世界人道デーが制定された。

人道は驕り高ぶることを嫌って謙虚な態度を好むという意味にしても、今日の世界の政治リーダーたちの振る舞いはどうだろうか?

まさに現在進行形でアメリカに欧州の首脳が集まり、ウクライナ情勢について議論が進んでいる。

トランプ大統領やプーチン大統領、習近平国家主席など振る舞いは『人道は盈つるを悪みて謙を好む』という言葉からはどう解釈したらいいのだろうか?

それとも国のリーダーにもなると、もはや人道という言葉の大切さを超越した何かに突き動かされているのだろうか。

確かに人道や人権、人命などは何よりも大切で何事にも優先されるべきだと思が、実際にはそこにさらに個々の利害関係や優先順位の中の優先順位という社会の複雑さも出てくる。

キレイごとばかりでは社会は回らないというのも現実であるが、自分の中では『人道は盈つるを悪みて謙を好む』という言葉を理念の中心に置いて生きたい。

お米の日に学ぶ『青田から飯になるまで 水加減』

『青田から飯になるまで 水加減』

このことわざは主に宮崎地方に伝わるそうだ。そして、8月18日は漢字にすると八十八で、「米」という漢字もバラバラにすると八十八になることから、今日は「お米の日」と呼ばれるらしい。

そして、『青田から飯になるまで 水加減』は、米作りにおいて田んぼで水を与える段階から炊飯してご飯になるまで、水の量が重要であることを意味する。

そこから翻って、何事も加減が大切であることも教えてくれる。

水が少ないと稲も育たないし、水が多すぎると根腐れしてしまったりする。お米を炊くときにも水が少ないとご飯が固くなってしまうし、水が多いとご飯が柔らかすぎてしまう。

水の量がちょうど良いと良いお米が育つし、ご飯も美味しく炊ける。本当に水の量が重要だし、何事も加減が大切。

そんなことを教えてくれることわざが『青田から飯になるまで 水加減』。

お盆休み中に埼玉県に車で出かけることがあった。その途中、都心からすれば車でほんの一時間くらいという辺りでも水田が広がっていて、自然の恵みや穀物のありがたさを感じることができた。

さらに、最近でもまだお米の価格が上昇しているとか下落しているとかが話題なので、お米という日本の主食への関心も増している今の時期に、ちょうどお米の日がやってくるというのも何かの縁かもしれない。

酷暑の日が続くが、日照時間も少なすぎても多すぎてもいけない。日本の風土と食文化、そして環境に感謝して今日もお米を美味しく頂きたい。

農家の皆さん、そして日本の環境や自然に対して本当にありがとうございます!今日も何事も良い加減に頑張ろう!

『青田から飯になるまで 水加減』