お米の日に学ぶ『青田から飯になるまで 水加減』

『青田から飯になるまで 水加減』

このことわざは主に宮崎地方に伝わるそうだ。そして、8月18日は漢字にすると八十八で、「米」という漢字もバラバラにすると八十八になることから、今日は「お米の日」と呼ばれるらしい。

そして、『青田から飯になるまで 水加減』は、米作りにおいて田んぼで水を与える段階から炊飯してご飯になるまで、水の量が重要であることを意味する。

そこから翻って、何事も加減が大切であることも教えてくれる。

水が少ないと稲も育たないし、水が多すぎると根腐れしてしまったりする。お米を炊くときにも水が少ないとご飯が固くなってしまうし、水が多いとご飯が柔らかすぎてしまう。

水の量がちょうど良いと良いお米が育つし、ご飯も美味しく炊ける。本当に水の量が重要だし、何事も加減が大切。

そんなことを教えてくれることわざが『青田から飯になるまで 水加減』。

お盆休み中に埼玉県に車で出かけることがあった。その途中、都心からすれば車でほんの一時間くらいという辺りでも水田が広がっていて、自然の恵みや穀物のありがたさを感じることができた。

さらに、最近でもまだお米の価格が上昇しているとか下落しているとかが話題なので、お米という日本の主食への関心も増している今の時期に、ちょうどお米の日がやってくるというのも何かの縁かもしれない。

酷暑の日が続くが、日照時間も少なすぎても多すぎてもいけない。日本の風土と食文化、そして環境に感謝して今日もお米を美味しく頂きたい。

農家の皆さん、そして日本の環境や自然に対して本当にありがとうございます!今日も何事も良い加減に頑張ろう!

『青田から飯になるまで 水加減』

ながさき平和の日(長崎原爆忌)に学ぶ四字熟語「鼓腹撃壌」

「鼓腹撃壌」(こふくげきじょう)

良い政治が行われ、天下が治まって人々が豊かに暮らしている様子のこと。

鼓腹 (こふく)とは、腹をたたいて鼓のようにすること、つまり腹鼓を打つこと。
撃壌 (げきじょう)とは、地面を足で踏み鳴らして拍子をとること。

中国の伝説的な聖天子である堯帝の時代、世の中がよく治まっているか確かめるために市井に出た際、老人が腹鼓を打ち、地面をたたいて歌い、天下泰平を喜んだという故事に由来する。

今日で長崎に原爆が投下されてから80年の節目となる。新聞でも報道でもメディアは「平和を」「戦争のない世を」「原爆のない世を」の一色。

確かに世界を見渡せば戦争状態にある国々もある。それでも、その国で生きる人たちは懸命に毎日を過ごし、子供は成長し、社会や経済は回り続ける。

どの国も良い政治が行われているとは言えまいが、多くの国では何とか食べることができて、この季節にバカンスやバケーションでのんびりすることもできているはず。

日本では、今日からお盆休み・夏休みという方々も多いことだろう。だから、まずは今のこの社会に感謝する気持ちを改めて確認したい。

およそ80年前の混乱の時代があったからこそ、現代は比較的安定した社会を築けている。

腹鼓を打つと言えるほど毎日満腹になるわけでもないけれど、コンビニやスーパーに行けば食品は陳列されているし、誰でもお金を掛けずに地域の盆踊りを踊ったり、SNSに踊ってみたを投稿することもできる。

現代は平和なのだ。

だから、我々はその平和を維持するためには何ができるのか?

「平和を」「戦争のない世を」「原爆のない世を」と唱えることも大切かもしれないけれど、日々「尊敬・感謝・必死」の感覚で目の前の課題に取り組むことが、平和の維持に自分ができることなのではないだろうか。

多様性の時代、平和の概念は人それぞれ違うかもしれない。だから、自分にできること、自分の課題に根気よく取り組むことが大切。

自分で働いて得たお金を自分の家族のためや自分の好きなことのために使う。それもまた経済のためには欠かせない活動だ。

ながさき平和の日(長崎原爆忌)の日に、改めて「鼓腹撃壌」という四字熟語を学んだ。

8月8日親孝行の日に学ぶことわざ「石に布団は着せられぬ」

「石に布団は着せられぬ」

石は墓石のことで、親が死んでからその墓石に布団を着せても意味がないことを伝えることわざ。親孝行は親が生きているうちにこそすべきであるという戒め。

今日は8月8日で、親孝行の日だそうだ。8月8日だからハチハチで、それを分解して繋ぎ直すと、ハハとチチになるかららしい。

ちょっと強引だなと感じるところもあるけど、そんな日をきっかけに親孝行を見直すこともできるから悪くはない。

同じようなことわざに、「親孝行したいときに親はなし」ということわざもある。自分も両親が健在だったときに散々親から聞かされてきたことわざではあるが、そのときは本当に素直に聞こうとしなかった。

確かに、親がいなくなってみると親孝行ができない現状に後悔する気持ちになったり、では親が健在だったらどんなことができたかを考えると、ちゃんと親孝行らしいことができた自信もない。

世の中にはいろいろな形や距離の親子関係があるから、必ずしも理想やステレオタイプの親孝行をしなければならないわけでもない。

自分なりに親を思う、子供を思うという気持ちがまず大切。

親が見てないところでもしっかりと親への感謝の気持ちを持っていれば社会からはみ出すこともなかろう。

親のことを意識しない日の方が多くても、8月8日親孝行の日みたいな日に少しでも親のことを思い出してあげるだけでも良いじゃないか。

そして、そのついでにほんの少しでも「石に布団は着せられぬ」という言葉も思い出してみると自分の中の何かが変わることもあるかもしれない。

子供はどんなに大きくなったとしても、自分一人の力で大きくなれるものではない。生んでくれた親、育ててくれた親、見守って気にかけてくれた親の存在なしに今の自分はないわけだから。

今日の親孝行の日に「石に布団は着せられぬ」ということわざを学んでおこう。

立秋の日に学ぶ四字熟語「一葉知秋」

「一葉知秋」(いちようちしゅう)

一枚の落ち葉が落ちるのを見て、秋の訪れを知るように、わずかな兆候から物事の大勢を悟ることのたとえ。

今日は立秋で、暦の上では秋に入ることになる。が昨今の夏の厳しさはまだまだ衰える気配がなく、これからも暑い日が続くだろう。「暑さ寒さも彼岸まで」ということわざがある通り、9月も下旬に入るとようやく涼しさを感じられる日が出てくる。

ただ、昨日の夜に道を歩いているとかすかに虫が鳴く声を聞いた。秋に入るのは暦の上だけで、本当に昨日も朝から晩になっても気温も湿度も高く寝苦しい夜だったものの、確かに虫が鳴いていた。

たったそれだけのことではあるけれど、まさに「一葉知秋」の四字熟語の通りに季節の移り変わりを感じる気がした。

そして、日の出や日の入り時刻はもっと顕著だ。

東京では日の出時刻が最も早くて日の入り時刻が最も遅い時期は6月の下旬。要するに夏至のころ。その時期は朝4:25頃には太陽が出て、沈むのは19:00くらいと最も日照時間が長くなる。

それが8月の今の時期で見ると、日の出時刻が4:55くらいで日の入り時刻が18:40くらい。それぞれ20分から30分くらい短くなっている。

暑さは今がピークであるが、一日の日照時間は確実に短くなっていることから、季節の移り変わりを数字の上でも理解することができる。

さらに、「一葉知秋」という四字熟語は単に季節の変わり目を感じるという意味にとどまらず、ちょっとしたことから全体的なことを理解したり察したりするという意味を持つ。

例えば、ニュートンがリンゴが木から落ちるのを見て重力に気付いたり、アルキメデスがお風呂が溢れるのをみて体積という概念に気付いたりするようなことだ。

私たちもほんのちょっとしら兆候から何かに気付いたり学ぶことができることがある。そんな視点で世の中や社会をみることが大切だと教えてくれる四字熟語。

それが「一葉知秋」。

広島原爆投下から80年の日に学ぶことわざ「昔は今の鏡」

「昔は今の鏡」

昔のことは今のお手本であるという意味。現代を理解するには過去の時代を知ることが大切であるということ。温故知新に近いことわざ。

広島に原爆が投下された日から80年の節目を迎えた。

世界で唯一の戦争被爆国として世の中に原爆がどのようなものかを伝える大切な役目をこの日本という国は負っている。

今の複雑な世の中のありようを知るためには昔のことをしっかりと学ぶ必要がある。ただし、私たちが知っている程度の情報を学んだからといって、日本に原爆が投下されたのかという本当の本当の政治的な判断は知る由もない。

それでも、広島と長崎という私たちの国に原子力爆弾が投下されたという事実があることには変わりがない。

世界は今も昔も非常に複雑で難しい関係性にある。政治、経済、軍事、資源、産業、加工、流通、貿易、地政学などなど、私たちが知ることができたり見ることができる世界は非常に表面的ではある。

だから、少々本を読んだからといって、それで世の中を解った気になってもいけない。自分が年齢を重ねると同時に広く深く世の中を学び続ける姿勢が大切だ。

「昔は今の鏡」この昔という言葉も、今の時代からみた戦争時代や昭和初期のことを指すだけではない。日本であれば、江戸時代から戦国時代、安土桃山時代からそれ以前の昔もあるように、それぞれの国にも国の成り立ちや現代までに至る過程というものがある。

それが今の時代から昔を見れば鏡のように見えることだろう。

そして、昔の時代を学ぶことによって現代のことやこれからのことを学べる面もあるはずだ。まさに温故知新。故きを温ねて新しきを知るということだ。

それは社会のことを学ぶだけにとどまらない。自分のことも、家族のことも、地域のことも昔を学ぶと未来が見えてくる面もある。

ただ、注意しておきたいのは、昔のことはそれぞれがある程度の主観で記録されていたり、ある程度の意図があることもあるから、すべてを鵜呑みにしてはいけない。できることなら、複数の記録や資料を丁寧に見てみることによって、様々な立場の違いや視点の違いも見えてくるかもしれない。

社会のこと、自分のこと、家族のこと、地域のこと、仕事のこと、いろいろと学べることはまだまだたくさんある。

「昔は今の鏡」

横浜みなとみらい花火大会事故に学ぶ四字熟語「殷鑑不遠」

「殷鑑不遠」(いんかんふえん)

このことわざは、過去の失敗を教訓として、将来の戒めとすべきだという教え。

殷の紂王(ちゅうおう)の暴政を例に、過ちを繰り返さないように戒める言葉。「殷」は中国古代王朝の名称。「鑑」は鏡の意味で、戒めとするべき手本という意味を表している。

「殷」が前代の夏王朝が悪政によって滅亡したことを鑑、戒めとしなければならないと言い伝えるための言葉にしていたようだ。

失敗の前例はあれやこれやと探さなくても身近にあるから、それを見て手本にせよといういうこと。

横浜みなとみらい花火大会で、船から打ち上げる予定だった花火が何らかのミスによって引火してしまい、暴発や予定外の爆発を起こしてしまった。

プロ中のプロの花火師たちが扱っているわけだから、ミスを起こす可能性は極めて低いとも思われる。

それでも、ミスは起こるし起こってしまった。

ちょっとしたミスが大事故につながる花火だから、花火師たちだって念には念を入れた準備をしていたはずだ。

それでも、ミスは起こるし起こってしまった。

だから、私たちも毎日同じようなことを行っていたとしても、ミスが起こる可能性はゼロではないと肝に銘じて、念には念を入れて戒める習慣が大切。

事故やミス、トラブルの教訓はいつでも身近になる。「ヒヤリ・ハット」とも言われるが、ヒヤリとしたりハッとすることがあったら、そこでしっかりとその原因などをケーススタディとしておくことで、もっと大きな事故やミス、トラブルを回避できる。

その「ヒヤリ」や「ハッと」する感覚に気付くことができるかどうかが重要だ。

昔の古代王朝のように、滅亡してしまうような悪政というほどスケールが大きな話ではないかもしれないが、私たちの生活に応じた大きさでとらえておこう。

今の自民党や政治にもこの「殷鑑不遠」という四字熟語を学んでもらいたいものだ。